三篇 巻之74 〔25〕 神祖(家康公)御法の勝利散のはなし

 わしの荘に遠からずに軽い御旗本人が在る。
何か年有って、勝利散と云うのを緒人に施している。
この薬は神祖(家康公)の御法として、故有ってかの家に伝わると。
この御薬を懐にする者は、怪我する事嘗て無しと。

わしが知る人が語る。
某の内の者が庫(クラ)を造る足場の高い処から滑り落ちたが、御薬を懐にしていた故か、少しの怪我もしなかったと。
正しいことだろう。

近年も同じ様な事が有って施すときには、元より施工なければ、代銭の沙汰はないが、受ける者の捧げものに、少々の納銭に二千金を積んだと聞く。
わしは還って失念したが、某の幼年の時に有ったなどと云っている。

またこれに就いて、笑うべく、かつ天理が存在することを知った。
ある所で、六七輩が無尽蔵講を組んで、他はみな利運のため、各々御薬を懐中していた。
一人だけしていなかった。
そうしてかの講策(コウクジ)を探(ト)るとき、御薬の懐中なき者に当たった。
他のみなは愕然としていた。
因って砌に御薬の験なきを怨み、或いは懐中なき者は如何なる神の祐かなどと云っていたと聞いた。

が根拠のないことだった。
畢竟、諸人一同御薬を持てば、功験はすべてにわたることであり、偏ることなどない。
因ってその一人(当たった者)は、却って御薬を懐中にしなかった故に幸を得たのだった。
すれば、己が利を求めると、天は私心無き者に与(クミ)し給うものか。
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