巻之30 〔32〕 不二山に登った者のはなしから

 不二山に登る事、世の人が云う所、且つ書き記す事もあれど、わしの園中に来る芸花戸が今年登った話を聞いたので略(あらまし)をしるす。

 山に上がる路はいく処もあれど、一つは甲州吉田と云う所から上がる。
三里程はつま先で上がると云う。
その先十里ばかりは坂でけわしいと云う。

 山頂は大きな穴で、見渡し二三町余ある。
深さは七丈余とも云えるだろう。
晴れたときはその底より見えるが、すり鉢の様である。
その穴の廻りは一里だと云う。

 山はみな世に黒ぼくと云う石の一握りばかりの焼石のみである。

 下山の路も所々ある。
焼石のころころした上を草履を二重に履いて滑って下るので、行く事は甚だ速い。
こごめば倒れんとするので、なるたけそって行く事である。
若し倒れんとするときは後へ仰向けになる。
そうすれば無難である。

 山上より、下方よりのぼる日の出を見る。
世に阿弥陀の来迎と云うのは、日輪が現れようとする前に後光の様なものが三筋ばかりぱっと立ちのぼる。
そこから日輪が見える。

 山に上る路、一合二合とのぼるに従ってに云う。
その五合より上に木は生えていない。
木のある所に発芽が多い。
大木も見える。
草はすきまなく一面に生えている。

 山上には水のある所はない。
ただ頂上に水のある処が一ヶ所ある。
廻り二尺ばかり、深さも二尺ばかりと見える。
澄み切った水である。
登る者は祈祷の為と、樽桶にくみ入れている者もいる。
幾人くんでも水が尽きる事はない。

 八合より上は六月暑気の時にも、布子(木綿の綿入れ)を着て上る。
日の出を拝するときは袖より出した手がこごえる。

 登山の道は甲州小仏峠の関所、帰りは箱根の関を通る。
山上する者は笠の印をつくる。
それで関を越えるときは、予めその宿屋より何人とことわれば、関では笠印を見て切手なしで通ることが出来る。

 頂上より下方も見えるが、何方も原の様にしている。
江嶋は豆の様に見える。

 須走と云う下り口は、七里程はごりごりとしていてすべって下る。
相州の関本と云う所に出る。

 大宮口と云う所は原吉原〔東海道駅路〕に下る。
上がるもここからである。
この他に聞いた事余多あるが、記す暇がない。
因って略した。
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