続篇 巻之47 〔3〕 平戸で見つかった異蛇考察

 一日平戸より、臣等の消息のついでに異物の図を示した。写真を参照のこと。

 文政十年(1827年)丁亥六月八日、辰時(午前8時前後2時間)過ぎ、普門寺庭前の喬松に羣鴉(群れるカラスの意)が集まって騒いでいる。
小僧が往ってこれを見ると、蛇の者の如くが有って、枝上より落ちた。
死んだ蛇だった。
上顎は傷つきしなっており図の如し。
腹頸の二か所傷つき破れていた。
その傷跡を視るに、日を経ない者の如くである。
蓋し鴉の害する所の者か。
蛇の長さ四尺ばかり、頸の囲一寸余り、背腹まあ大きいというか。
囲五寸余り、腹下隆起して、魚鬛(ギョリョウ)に似ている。図の如し。尾は鱣魚の如し、鱗の大きさは図の如し。皆六角である。疵口の肉は色赤く、下顎の中僅(わずか)に縫い針の頭の如きもの二条有り。
寸余。図の如し。

 異蛇を考える  阿部友之進喜
この蛇は薩州に産まれる永良部鰻である。
永良部は南海の地名である。
この地の海中の多く産する。
土地の者がよく食すると云う。
この蛇は死んでたまたま海岸にいたものだろう。
清周煌『琉球国志略』に云う。
海蛇。
国王に安天使に必ず海蛇一束具えるように云った。
長さ二三尺、僵直朽索(くちなわが倒れた)如く、黒色で猙獰(トウドウ、荒々しく憎らしい)な憎むべし。
国人は饌(そなえ)を為すと云う。
性質は熱く、能く痼疾(こしつ、ながく治らない病気)、癘(えやみ、悪質の流行病)の治しに療する。

また『奔走』水蛇の集解に云う。
水中の一種の泥蛇、黒色、穴に居り群を成す。
人を噛み、毒が有る。
この説また永良部鰻のことを云うのでしょうか。

かつて占春の説に、琉球人またこれを海蛇と云う。
薩州南海永良部の地に産まれると云う。
世俗利水の効ありと用いる人もある。

喜父春菴はいつもこの蛇を一二条たくわえ、いつもこの効を試みていて、小児諸病、凡そ元陽の虚ろなる人によし。
腎気不足、あるいは淋病茎中の痛みに用いる。
小児に遺る尿等にいつも用いると甚だ効あり。
しかしながら目を損なう憂いもある。
これはその油脂の甚だしさの為か。

右(上)、はじめの平戸の小記、且つ終りの考説に云えども、その実状を聞くと、かの蛇はじめ樹梢に懸かったときには、首もあって未だ死んでいなかったのだろうと。
普門寺の沙弥等は目撃したと人は語る。
するとこの物は、この辺の海中にも居ることあるのか。

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