続篇 巻之34 〔2〕 巴、山吹の女武者

 この程巴の能を見た。
狂言が間(アイ)の語りに、木曽殿には、巴、山吹と云う二人の女武者があったが、山吹は砺波山(となみさん)の合戦に討ち死に、巴は粟津の戦にも従っていたと云うので、わしは不審が起こるままに、帰って文などを見た。

 『平家物語』にいう。
木曽は信濃を出てから、巴、山吹とて二人の美女を具(とも)された。山吹は労わって都に留まった。
中にも巴は、色白く髪長く、容顔まことに美麗である。
究境(きゅうきょう、非常に好都合なこと)の荒馬のりの、悪処を墜し、弓矢打ち物取りでは、如何なる鬼にも神にも合うと云って、一人当り千の兵であった。

 それで戦と云う時は、実(サネ)善き鎧を着せ、強(ツヨ)弓、大横刀を持たせて、一方の大将に向けられて、度々の功名に肩を並べる者はいなう。
すると今度も多くの者を落失させ討たれる中に、七騎までも、巴は討たれてしまった。

 『源平盛衰記』にいう。
巴は七騎の中にあった。
生年二十八。
身の盛な女である。
さる剛の者であったそうだが、北国度々の合戦にも手をも負わず、百余騎の中にも、七駒になるまで附いていた。
(中略)巴、七騎の先陣に進んで打ってでるが、何を思ったのか、兜を脱ぎ、長けに余る黒髪を後ろへさとうち越して、額に天がんを当てて、白打出の笠を着し、眉目(ミメ)も容(カタチ)も優れている。

 ここに遠江の国の住人内田の三郎家吉と名乗って、三十五騎の勢いで巴女に行き会った。
内田は敵を見て、「天晴れ武者の形気(ケイキ)かな。但し女か童か覚束(おぼつか)ないが」と問いかけた。
郎等よくよく見て「女でございます」と答える。
内田十分に聞きもせず、「なるほどもっともなことだ」。
木曽殿には葵、巴とて二人の女将軍がいる。
葵は去年の春、砺波山の合戦で討たれた。
巴は未だ在だと聞く」。

これは強弓の精兵、空き間の数え上手だと見える。
とすると山吹と云ったり、葵と云ったり一定ならず。
また山吹は労に依って都に留まると云えば、討ち死にはしなかっただろう。
山吹とは云わないが、葵の砺波戦死のことを云えば、狂言の語りはこれに拠るのだろう。
巴女と内田合戦のことは、尚委しく前記にしるし、憤慨に余りあれど、事長ければここに略す。
関連記事
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

プロフィール

百合の若

Author:百合の若
FC2ブログへようこそ!

検索(全文検索)

記事に含まれる文字を検索します。

最新の記事(全記事表示付き)

訪問者数

(2020.11.25~)

ジャンルランキング

[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
890位
ジャンルランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
131位
サブジャンルランキングを見る>>

QRコード

QR