巻之88 〔9〕 南宋の農民熊飛

 『孔雀楼筆記』に、南宋亡くなる時、東莞の農民熊飛と云う者が、義兵を起し、元兵と数十戦う。
忠男の鋒(切っ先)が剛ではあるけれども、終に戦死した。事『宋元通艦綱目続編』にも見られる。
熊飛の婦翁(ふおう、岳父)は儒者にして、家財に豊かであるが、田宅とともに婿の軍用の資とした。
その身は吾国に渡り、平戸に居住し国人に教授した。
国人は甚だ敬愛し、遂に吾国で病死した。
柩を唐土へ返し葬り、吾国の人数十人も送っていった。
かの地にて吾国の葬式を用い祀った。
冠服、鼓楽、唱曲は今に伝わって吾国の式を用いるとあった。
右(下)二条は『広東新語』に出ていると見える。

 『綱目続編』に云う。徳祐二年(中国南宋の恭帝の治世に使用された元号。1276年)九月、元の分軍道閩寇(あだ)する。
広東の莞民熊飛、兵を起こし趙潽に会う、韶(つ)いで広州に復す。
冬十月、元の呂師夔等兵将梅嶺度(わた)り、遂に韶で州に入る。
熊飛これにて死す。

 『広東新語』に云う。
東莞李竹隠先生、宋末当り、その婿熊飛は兵を起こし(王を勤め)使う。
而身は海に浮き日本に至り、詩書を以て教授す。
日本の人、多くその化を被る。
称して夫子曰く。
死に比(あ)い鼓吹一部を以て、喪を送り里へ返す。
今に至って莞人は喪を送るに、皆日本鼓吹を用ゆ。
過て洋楽と号す。
楽人皆倭衣、倭帽、以て之に象す。
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