巻之十一 ニ四 櫓から日傘を出される事(矢留の傘)

能役者喜多七大夫の祖は、右京と云って太閤秀吉の近習士であった。
七大夫の家の伝によると、大阪落城の時右京も城内にいたが、大野修理は早く傘を櫓から出して振るようにと云う。
右京はそれに従って天守に上り、日傘を出して振ると、雲霞の様に集まる寄り手がみるみる減っていった。
又城中の婦女雑役の者太達は、城より出る格好になり、右京も故郷筑前に落ち帰ったと云う。
ただしこれは表向きの話である。
実は落城の時、関東の御内旨によって秀頼は薩摩に落ちてゆかれるのに、右京も従って行ったと云う。
この櫓から日傘を出される事を矢留の傘と云って、ならわしなのだと云う。
だがどうした訳が詳しくはわからない。
これを七大夫の父、湖遊が語ったそうな。
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