巻之21 〔23〕 殉死を禁す

 殉死が止んだのは水戸の義公に起こる。
『常山文集』に云う。
寛文元年(1661年)辛丑七月、この月二十九日威公〔頼房公、水戸藩初代藩主〕薨(みま)かる。
公三日食せず。哀毀殊甚。
八月四日瑞竜山に葬る。
諡を威公と奉る。
葬儀一に礼制に遵す。
士人威公の譴責を蒙り、門を杜屏(退く、覆うの意)居する者皆沛宥を被り、路側に列し霊轜じを拝すことを得る。
威公の近臣自殺殉と欲し死に者数人有り。
公親その家に往き、教諭懇惻(いたむ)を以てこれを止む。
時四方の侯伯殉死多くを以て相誇に至る。
これに於いて幕府厳に禁令を設け、以その弊を革す。
実に公これが首倡(となえるの意)為なり。

また『玉露叢』に云う。
寛文三年(1663年)五月廿日、今年はじめて将軍家〔厳廟、家綱公〕より殉死御禁制の趣(本文ママ)、

 殉死はいにしへより不義無益の事なりといましめをくといへども、仰出被りこれ無きゆへ、近年追腹の者余多これ有り。
向後左様これ存念これ有りものには、常々その主人より殉死仕ず候様に堅くこれ含申すべし候。
若(もしくは)以来これ有於者、その亡主不覚悟の法度たるべし。
跡目の息も抑留令ず儀不届き思召被るべしものなり。

 寛文三年五月廿日〔『校書余録』〕。
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