2023/06/16
続篇 巻之46 〔11〕 近所の岡田左衛門の炮術習場から火がでたはなし
六月九日昼過ぎ、晴天風もなき折に、櫓にて木版を撃っているので人を遣って見てこさせた。すると「近所が失火」と告げた。
わしも出て見ると白煙が恰も狼煙の如くであった。
さらに人を走らせ見てもらうと、新御番岡田左衛門宅であった。
この宅はわしの荘の西南三町ばかりに在って少し畏れたが、頓て鎮火した。
後で聞くと左衛門、来月は佃の海上にて揚げ火の御許しがあって、例の如くその門人を集めて、製薬からはじめ木炮等の造作を為していたという。
この日その宅の習場は〔ここは茅亭にて間口二間奥行二間半の舎にて四壁はなし〕人里から離れた所なので、人々は寄り合ってその事をやっていた。
一人本屋にゆき、烟を喫し終えて煙管を持って習場へ戻ったが、煙管に火や残っていたものが、忽ち火薬に移り〔世上の石臼より発火したと云われているがこれは誤りなるよし〕、製硝は論なし、狼煙に用意した火器から悉く火がほとばしった。
人をも傷付けた。
且つ亭宇の茅に火が逮(およ)んで燃え上がった。
けれど幸に風もなくたちまち鎮火した。
火傷した人は、大久保某と称される旗本人の弟某にて、火薬の為に身体が習場の外へ投げ出され、毛髪みな焼けてしまい、皮膚はただれて赤膚となり、恰も山蛙(アカガエル)の皮をはぎ取ったようになって、次の日亡くなった。
一人は西尾侯の臣にて近頃入門していたが、これも頭面焼損して一日過ぎて没した。
この余はその場にいなかった、遠きにいた、逃げた等でこの災難を逃れたと。
またこの中に塞翁馬の類の話がある。
交代寄合最上氏の臣高楯某のこと、これも同じく門人だが、当日製薬に誘われ往こうとしていたところを、その年老いた母が、「火薬の側(ホトリ)は心もとなし」と云って停めたという。
ある者はこれに加わろうとした日に、主人の使者に当たっていたので、旁々(カタガタ、傍ら)師の家に行くのを断り、使者の出がけに寄り道して岡田の家に到り、用事を済ませているうちに、その日の災いはのがれた。
これは孝順によるものかと人は言った。
またある人が話すには、かの木臣筒硝火にて焚けたとき、筒を造るとて一匠はこれを斲(き)っていたが、発火したとき驚いて習場の向うの的舎(マトイエ)の下に伏していた。それなのに主人(岡田氏)は驚いて来てみれば、その場を見廻って、匠が伏しているのを見つけ襟を牽いて曰く。「あの木筒半ば損じているな。修復すれば再び使えるぞ」。匠はそこを逃れ人に「主人はあの火災の中にて用が立つ立たぬと言っていた。わたしや現場の輩にはどうであったか沙汰はなし。命あっての物種なのだがね」と話して大息をついたと。
また岡田の宅の後ろ、路を隔てて東は金坐の屋鋪にて、北はその手代の宅だが、微風ながらも南風ゆえこの家に飛び火して茅屋が燃え上がった。近所の少壮が馳せ集まり庭の池水を以て消し止めた。風が強かったら近辺はもっと危うかった軒。
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