巻之五十ニ 一一 蝦夷地

去年だったか、ある人が曲玉を贈った。(大きさは3㌢程)。
写真の形で質は琥珀の様。
これは西蝦夷地「カムイコタン」で掘り出されたのだという。
頃は文化の始めで、今御勘定を勤める増田金五郎が、かの地に在住を願い出て妻子と共に箱館にいた時に得たものである。
その後もカラフト島で齋瓶(イハヒベ)、曲玉を得たのだと。
これは支配勘定向井勘助が得た物。 
曲玉の事は、古を好む者はよく知るところだろうが、この様に蝦夷地にあるのは疑問に思う。
齋瓶の様な物もまた同じ。
ここを思えば、蝦夷地は、上古は日本の地で、後世に至って次第に蝦夷地域となってきたか。
「カムイコタン」の地を、わしは詳しく知らない。
林子平が「蝦夷図」を載せない。ならば知る人に聞こう。
またカラフトは蝦夷から西北、最奥の処で、海を渡って三十五里。
中華、満洲の地と繋がる処である。
だからこの地に及んで、我が国の上古の物がある。ますます奇な事である。

kassi013.jpg

「日本紀」斉明天皇の五年三月、阿部の臣をやって、百八十艘の船を率いて蝦夷国を討たせた。
中略 問菟の蝦夷を謄鹿嶋(キカシマ)と菟穂名(ウホナ)の二人が進みて曰く。
「最終的には後方羊蹄(シベリス)をもって政所となす事が可しとする事がよいでしょう」。
謄鹿嶋(キカシマ)等が云う事についに従って、郡領を置いて帰った。
越の国の司と道奥の司に二階の位をそれぞれ与え授ける。
郡領と主政に一階をそれぞれ授ける」。下略。
後方羊蹄(シベリシ)は、「通證」に書いてある。
何であろうかと見ると、これは今の蝦夷の嶋志利辺知(シシリベチ)である。
山がある。尻別嶽という。
「蝦夷地」を見ると、この山蝦夷に入るのは遠くない地である。
記して云う。尻別山、または尻辺之(シリベシ)とも云う。
蝦夷で一番高い山で箱館より見えるそうだ。
箱館は松前渡口の大湊である。
これを知るべし。そうであれば、かの地に我が古にかかる器があるのも然りである。
また図を見ると、尻別嶽の西の麓海辺にシコタンと云う処がある。
これは、または前に云ったカムイコタンの地なのか。

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