続篇 巻之56 〔16〕印宗和尚の旅のはなし

その1
 
 印宗和尚が去年旅行したときの話を聞いた者が話した事。

 丹州の大江山は、高山にして兀(ハゲ)山である〔これは印宗目撃の言〕。

 その山腹に誉陀(ヨダ)峠と云う山道がある。
 
 この路を通行するとき、土地の者に聞けば、「この山上に石窟2つ在って、内の広さは各100呫鋪ばかり有るだろう〔この言は里人の説なので、下の往古のことを述べる為に語っているのだろう。信じがたい話だ〕。
 
 この窟は昔酒転童子の住んでいた処と云い伝わると〔以上が里人の話である。〇この童子のこと、世の人が疑う所である。または酒転鬼と云うのは伝聞で、実は山賊であると。これは然るべき説である。〇『日本史』註。按頼光事蹟これに於いて止まず。鬼同丸殺す如く、土蜘蛛を斬る、酒転童子この類を誅す、載裨叢説に在って、真偽弁じ難し。今取らず。〇この如くであれば、『日本史』の取らざるにで、後若し真證を得れば、誣いるべからざるものか。〇『俗説弁』に云う。按るに、頼光、酒転童子を討つ事、実録に見えず。但し『源氏系図』に、頼光は伊吹山凶賊を誅すとあった。『古今著聞集』に、市原野にて、牛の腹にかくれて居た鬼同丸と云う者を、頼光切り殺した事を載せた。これ等を附会して世に伝えたのであろうか〕。

 印宗はここを余程過ぎ行き投宿した。
 
 この家の主は若く文才ある者で、「この国の茅谷(カヤダニ)と云う所に普光寺〔禅宗〕と云う寺があります。
 この寺に『大般若経』がございます。
 相伝わりましたね。
 頼光朝臣が大江山の鬼退治のとき、所願あって書写あったと、頼光はじめ、所謂四天王の人々の染筆であります。
 それなのに公時は筆蹟がございません。
 それゆえは、公時は無筆であって、自余の人々は各書の経文に、公時をして句読をさせたと。
 この経文は今尚ありますよ」と語った。

 このことも一奇事であろう。
 
 さてかの経は、鬼童退治と祈願と云うのも如何であろうか。

 また、かの凶賊を討つときのことか。

 義経、弁慶、亀井の輩と筆を合わせた経文も、世間にはある。

 古のさまになろう。
 
 印宗は行き過ぎてそこへは往かずと〔公時の無筆の一条も信じられないことである。 
 『俗説弁』に、二書を引いて云う。『今昔物語』に云う。
 摂津守頼光朝臣の郎等にてあったが、平貞通、平季武、公時と云う、3人の郎等有りけりと記して、綱のことは載せていない。 その後綱を加えて四天王としたか。
 『古今著聞集』には、綱、公時、定道、季武と見える。
 『太平記』剣巻には、綱は四天王の随一と記す。
 新参と謂うも、武勇智慮、この3人に超えたる故であろうか〕。

 この如くとくれば、察するに、公時は無筆漢とも思われない。

 続く

 
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