続篇 巻之56 〔16〕印宗和尚の旅のはなし

 その2
 印宗また曰く。

 熊野新宮に詣て、これより高野へと思い立ったが、行道は海辺より40里と聞けば、いかが為るかと思って居ると、高野越えとて行径あって、18里になると聞き、ここより赴くと、近きとは云うが、最も大難路にて、あるいは高山の頂かと思えば、または深渓の底に到り、上下すること数回やる。

 この間かつて人家はなく、在っても2,3里を隔てた纔(わずか)に2,3家あるのみ。
 
 この如く人跡絶し境にして、路難幽行、言に述べる事が出来ない。

 それなのにこの邃(おくぶかい)谷の畔(あぜ)を行く物があった。

 その姿は真っ黒である。印宗は「熊であろう」と訝った。

 近づくにつれて見れば、裸体の男子が2人であった。

 その膚は墨の如く、眼は白くして光射があった。

 印は疑って決せず。それからやや行くと、路傍に小茶店があった。

 印はすなわちその主に問えば、「これは全くの怪物ではありませんよ。山中にして墨製の油烟を取ることを業として、その松脂の煙にて全身は灼り、終いに皮の色となり、洗っても剥げないのですよ。この業をなして、17日を務めれば、その賃財を得ること金子1両になるそうです。少しの日でこう高金を得れば、匹夫は利潤を懐に出来るし、その身の汚れは嫌わないかと。遂に廃軀となったそうですよ」と答えた。

 また曰く。

 カンナ川と云う所の村中に、吉田権之助と云う者はあった。

 後醍醐帝に従い奉る人の末にして、今は郷士となって、ここに居住している。

 外にも家柄の者が住んでいて、樫尾崎村の辺りまで、全て十津郷である。
 
 昔は十津千本鎗と云って、右の家柄の者は今も所々に住居している。

 今は門構えして家居、この党の人というぞ。
 
 印また、カンナ川にて三浦源蔵なる者の家に投宿したと。
 
 源蔵の話に、この大和国の中、横7里縦13里の間、総名十津川と云う。

 56村あって、この村々の農は、苗字帯刀御免にして、官領である。

 御代官支配して、年々歳尾、年頭、八朔には、庄屋へ百姓総代1人宛て出て、御代官と献酬の事があった。

 このとき提刀にて出入りした。御代官の接対は頗る丁寧であったと。
 
 またこの家筋の農は、年々御扶持米を賜わり、若しくは軍旅のときには、御味方として加わるベきの起請文を、かねて指上置のことであったとぞ。

 終り
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