2020/07/26
巻之五十六 〈七〉 城の建つ地は時代により移り行く、目の前の事になると気づかない
林子が語った。城の建つ地は時代により移り行くものだ。
だから、造り替えねばならぬ物である。
山城などは水地と違い地勢も変わらないが、その時の敵のいる所により要不要になってくる。
注意して言うならば、照祖参遠に坐す時は、金谷駅の上の諏訪原(牧野平とも云)の城はなくてもいいのではないか。
これは甲州押への為に。
甲州亡き後はこの城はいらないかと。
だから、廃城になる。
世の人は、この意味も知らず、深く考えることもなく、某の所の古城跡は天剣の地なので、どうして廃するのかと云うのは笑える。
また慶長仲、伏見の城を淀に移されたのは、その頃淀川の水道が今と違い、城から川の水が低ければ、水車で城内へ水を汲み入れたものだ。
百余年を経て川床が高くなり、水車は景色ばかりで実用的でなく、出水ごとに淀城はいつも氾濫の被害を被っている。
これは河道が変わったことで、当年築城の時の地勢ではないのである。
古今の変わり様に通じてなくて、城の利不利などを評する人が往々にしているものだ。嘆かわしい。
この他、海に害をなした城によって、今は海が乾いていき、いつか田になるかも知れぬ。
また城門の前の間地も、後に間近く家をたて連ねたものも多い。
これらは事に臨む時に焼き草となるかも知れぬと。林子が云うのだ。
西征の時に、諸国の城地を目撃して、意中に心得難い事が多いのだ。
そもそも城ばかりでなく、着具なども同じ事である。
先祖の具足だと言って貴び蔵に入れて置くのはよい。
それを自身も着ようと思う輩もまた多い。
それは人それぞれ大小肥痩せあれば、今当てて、我が用にするために乳縄でつくり直しても役に立たないのだ。
某が若い時は痩せていて、中年より肥えた。
既に年少の時の乳縄は今とはかなり違っている。
一人の事でさえこの有り様。
これら、目の前の事になると気づかない。
着具をつくり変えることも知らず、いたずらに月日を過ごす武家は、実に太平の余沢(先人が遺してくれた恩恵)に潤い過ぎるというものである。
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