巻之77 〔20〕浅草寺の雉子舞

 先年浅草寺中三社に雉子の舞とて、例年興行すると聞いたので、人をして見せつけるに、番付を持ち還った。
   
     番付 
 山廻〔1人舞〕  国堅〔同〕  祝詞〔同〕  二箇翁〔2人舞〕  
 神剣御鑓〔4人舞〕  岩戸開〔2人舞〕  醜女8人〔2人舞〕
  
     中入
 湯起證〔4人舞〕  雉子舞〔2人舞〕  山神〔1人舞〕
 
 この雉子舞の体は、2人、雌雉、雄雉の形を頭に戴き、雄の方は翁面に萌黄狩衣、白袴、幣2本を持つ。

 雌の方は尉の面に赤狩衣、白地金入袴、扇2本を持ち、2人一同に舞い、囃子は太鼓と笛である。
 
 さてこの舞の基本と云うのは、往昔三所権現に浅草の氏子どもを集めて、観音の仏前にてこの本尊を河よりひき上げた時、雉が出来た仏体に翼を蔽(おお)ったさまを傚(なら)い、本尊併に三社の垂跡をなぐさめたと云うことであった。

 本寺6巻の『古縁記』にある由、三社の孫常音坊の家に伝えたのを、この12年前萩野長と常音とこれを再興しようと謀(はか)り、田村八太夫は〔浅草寺に古来より属する者である。このことは下に云う〕神事舞大夫の頭なのでこれを方人にして、9月17日神楽と云えることを企て、常音の家と専当坊〔これもまた三社の孫である。三家今に相続する〕が家に持ち伝える雉子の面といっていた古仮面を取りだして、舞の手は八太夫の配下の者につけさせ、1つの舞を作り出しということ。
 
 今は『縁記』の時より遣るさまを云い成らすが、実は12年前の作であったとぞ。わしもその後かの神楽のとき往って見たが、面白くない舞にて今世に謂う十二坐の神楽と云うものの比(たぐい)であった。

 いかさま八太夫の配下の作と云うものその由である。

 田村八太夫は浅草寺にて神事舞太夫と称して、居所は田原町1丁目にあって、関東の梓巫女を支配する。
 
 またこの八太夫の家は成嶋道筑流の神道者にて、八太夫今は右馬助と称すると。
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