巻之62 〔22〕羅漢寺のこと

 3月の末、開山忌とて招かれた。

 住持〔弥天和尚〕が出て、種々の物語りをする中、普照国師〔隠元〕が檗山開創の後、宇治川に近づき渡るのを津処として、しばしばここより渡られていて、今もその処を隠元渡りと云うとのこと。
 
 また即非禅師は隠元の弟子にて、年も余程若かったが、神通を得た人にて、隠元に随いてこの渡りをわたるとき、忽ち河の向う岸に立っていた。

 隠元は時に云うには、「こうして神通を人に見せることは為すまじく。人に見えぬこそ神通だ」と、時々に即非の所行をば止めたとぞ。

 また木庵禅師〔黄檗の2世〕も国師の高弟にして、厚篤の人であると。

 ある日隠元は、檗山の中妙高亭と云うところに木庵は即非と在ったとき〔この亭は淀川を望む所にて、その頃は創寺のとき故、林木もそんなに育っていない。

 川を往く船はこの亭よりよく見られた。

 が今は樹々が繁茂して、来還の船を見ることは出来ないという〕、淀河の舟帆を揚げて来るのを見て、隠元が、「汝あの行舟を駐めよ」と言う。木庵即ち起きて、亭の障子を閉めようとした。即非は言下に眼を閉じて、「舟を停め終わりました」と即答したとぞ。その心機の先後この通り。

 また羅漢寺御成のときは、例として翌日寺社奉行宅にて銀10枚を下された。
 
 時として御成の場にて法問を聴かせられることがあった。このときは直に銀3枚を賜わるとぞ。

 この事は徳廟(家康公)の御時だったか始まったかと。

 またかの堂脊の鸛(こうのとり)の巣であるが、わしが幼年の頃より今に連綿とする等と語る次いでに、「さて大風には(巣は)吹き落ちるかや」と言うと、「否々、一昨年の猛風の時にも損じることはありませんでしたよ。また時としてかの巣を人が見届けることがあって、屋脊に登って見ると、何かを咥えて来ます。それは土を以て木枝の隙をつめながら、中々瓢箪(ひょうよう、ゆれ動く)する底ではありませんよ。巣の広さはたたみ2帖鋪もあるでしょうか」と云った。

 また前の巻之23に云う如く、年々雛が長ずれば、父鳥は巣を去っていく。

 このことも和尚が云うには、「雛がやや長ずれば、父鳥は翼を張って飛ぶ形を教えます」と。

 雛が習熟したと思えば、また枝朶を銜(くわえて)来て、堂脊を歩いて巣のない所に巣を構える生態を見せる。

 こうして巣を成して、(雛の)習熟が達成されると、父鳥は遂にここで子らと分かれる。

 もし雛が3羽ならば、雌雄2つを留めて、余子は将(ひき)い去るという。

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