続篇  巻之26  〔3〕喜多六平太

 その1
 能大夫喜多六平太の家伝を聞くに〔寿山曰く〕、祖先は伊賀の人にて、同国に北村と云う者があった。

 因って北を氏とした。後喜多と改めたと云う(観世大夫は服部氏。伊賀国服部村の出であると。

 不可院左近は、御暇を願って伊賀に往き、古跡をただすよう四郎が話した。

 すると喜多氏と同国の人であるか)。この人は六平太と称し、後左近とあらためた。

 はじめは豊太閤の近習であった。

 豊公逝去の後〔こう云えども大坂落城の後であろうが〕去って九州に到り、黒田如水の家老某〔その名を忘れた〕のもとに身を寄せた。

 御統一の後、神祖(家康公)と如水が御物語る中、左京の能芸のことに及び、「今は如何になっているか」と仰せがあった。如水は「その者は今我が臣某に身を寄せています」と答えた。

 すると神祖は「さては惜しき者であることよ。我は彼が7歳のときはじめて能を為したのを今も憶えている〔7歳にしてうまい能をするが故に、時の人は七太夫と呼んだので、今かの家は七太夫と称される〕。(我が前に)召すべし」と有った。

 如水はすなわち西国より呼んだ。

 それなのに中途にして神祖の江府に薨じ給うを聞いた。

 それで江府の勤めはなくなった〔神祖の薨は駿府であった。すると家伝の誤りである。またこの年元和2年(1616年)であることを覚えておきたい〕。

 また浪人となって、黒田氏の溜池の第(てい、邸の意)に身を寄せた。
 
続く
 
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