三篇  巻之11  〔9〕浅草寺静御前の薙刀の誤った伝と浅草寺の鐘の後の通行を停めること

 『江戸志』浅草寺の条、貞雄の補いに、静御前の薙刀が観音堂の内の後ろ本尊の前、かもいの上に、昔より掛けてある。来歴しれず。また誰人の納めたと云うことも伝わらない。

 わしは因みに思った。希なる物で、就いて能く視たほしいと。先ず梅塢(荻野梅塢、1781~1843年、江戸時代後期の武士)は、かの寺内には僧の門人が多いので、塢(土手の意)に託して問うと、寺僧は嘗てこうは云わない。
 
 また本山東叡の仰せつけと云っても、猶更(なおさら)ない。その本は、何者か堂守坊主どもが、檀家の上り薙刀などを、夜盗の用心にかしこにかけ置いたものであるのではと。わしは再び遺念(思いを後に残す)が絶えない。人を遣わして観るに、なるほど今世は女子の婚礼長刀(ナギナタ)と称する体の、柄の長く刃の短しは、殊に後世の制である。且つ甚だ塵汚鏽垢の状で見るべくもないと。
 
 すると傍々、静に名を託して云うよりも、こうして誤りを伝えるのもまた久しい。これ等冠山老侯の、苦心して編述した、『浅草寺誌』にも遺漏(手落ち、手抜かり)なので、これは亡き友の追善と記した(御草案敬覧仕候所、条々おもしろく、殊に浅草之古考など別にして御出来と存じあげる。却って御文体よろしくあるので、先年之如く塗りつけも仕ったと申す)。

  また一事は、浅草寺の本堂前仁王門は、昏暮〔六ッ時、午後6時頃〕の鐘を撞くと、閉じて通行を停める。わしも近頃童相撲御覧のとき、夜陰に往って正しく視た。毎夜禁行の後は、この門前に幣束三本を竪て賽銭箱を置いてある。

  これを聞くと、近く寛政(1789~1801年)のはじめ、かの寺の執事代妙智院と云う者の意作であって、何か観音を深遠にしようと、このように為た。今は訳あり顔に設けて置き、浮説までを増やして、観世音は忝(かたじけな)くも、天照御神の本地なのでなどと云うと。これも冠山老侯は記しもらしたと聞く。

  この天照御神の本地を観音と云うことも、禁裡(宮中)にある二間の観世音と申すのは、十一面にして、天照御神を本地とすること、東寺長者の口訣(くけつ、口で言い伝える秘伝)にして、18日二間観音供とて、いたく秘することが、『東寺長者補任』等に見えると。

  また『禁秘御鈔』には、二間とは、温明殿〔内侍所〕の神鏡の坐(ましま)す所に隣にあるので、このように唱える。ここにその観音安置座すゆえとのこと。これ等附会の本であると、また梅塢曰く。
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