巻之69  〔3〕水戸侯の大曲伝授

 去々年〔癸未、文政6年、1823年か〕の秋ごろ、水戸殿は笙の大曲伝授を得られ、蘇合香一具を催されたが、箏の人の腕前が相当に素晴らしいので、林氏〔蕉軒〕をその日招こうと、予め人を通して林氏にそのことを申し入れた。

 且つその日は装束の心得なので、用意するようにと内々に知らされた。

 水邸は従来林氏の御懇意なので、兔口(とこう)なく承諾の御請け申した。また申すには、「御遊宴のことなので、冠袍を具するとも存じられません。その余装束となれば大紋になるのでしょうが、これもどのような規模になるのでしょうね。相公は何を着られますか」と問うた。

 (話を持ってきた)人は、「直衣のよし。その余の人々は狩衣でございます」と云った。

 因って林は又「武家の五位は禁裏附、仙洞附など、京にては狩衣を着すると聞くが、関東にてはこの服は四品人躰の服となれば、それを用いるのは僭越に邇(ちか)いのでは。且つ着用のものもありません。すると有り合わせの鎧直垂を着て、揉(もみ)烏帽子を抹額(まっこう)にて結いあげて、白太刀佩(は)いて、御席に侍りましょうか」と申した。

 某は再び来て、「鎧直垂は無用になさってください。ただ常服になさって下さい」と云えば、催の日はその如くして赴いた。勝手の間に通され、近侍の人をして、「この日は抂(まげ)て狩衣を着ておられた。

 既に用意したとて、藻かつみ紋〔かつみは古紋であるが、林氏は殊にこの紋を好み、諸器にこれを出しておられたので、態(わざ)とこう為されたと見える〕を織りだした香色の狩衣に浅黄平絹の指貫どもを新調して持ち出されたので、表向きのことにも非ればともかくとも、狩衣を着て箏を弾いたと云う。宰相殿は直衣にて、指貫の外括を解き引かれた。

 その余相手の輩、伶人等みな狩衣であったという。

 こうして公は雅尚深く、古風を好まれ、動(やや)もすれば搢(しん、差し挟むの意)紳家の様なことが多いとぞ。

 故に公鑑が殊更に鎧直垂と云ったのは、激敖(ごう、奢り、やかましいの意)ばかりでなく、頗る諷意(ふうい、当てこすりの意)があってのことだろう。

 面白いではないか。
  
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