2020/08/23
三編ニ 〈一〉 上の事が下に通じない。 下の事が、上に通じない
水戸殿労国の御ことは、西山公より御相承と聞こえる。前に当公は、馬の飼い方の命があった事を載せた。
また郷里への仰出を見た。
みな、巳年となると、初めて帰国された年である。
御文中、博徒堕胎の事、しばしばあった。
これは(先々)常陸の国俗にするよう、中山氏の話に聞いた。
仰出の文
我ら相続した巳年以来、郷村在町の儀については、日夜心を労する所、近世の風の為か、上の事が下に通じない。
下の事が、上に通じない儀もあって、この事をことさらに心配している。
先ず人は父母あって生ずると云いながら、天から生じ給う事をよくよく知ることだ。
その内、幸不幸があって、幸いに王侯貴人に生まれたる者は人の上になり、不幸にして下万民と生まれたる者は人の下となる事に、愚昧の我らの様な者も、この国を領して人の上に立ちながら、家内を始め百姓町人に至るまで撫育(ぶいく、可愛がる)しようと思えば、相続以来発信し続け、誰も知らぬ者もないようにしなければならぬ。
家中には借上げなど申し付けず、常々衣は木綿服を用い、食は一汁か一菜のみにして、ことごとく省略し、この度国の在こくにも用金は申し付けず候の儀は、百姓町人も勝手を直し、何れも父母へ孝道を尽くされ、子弟の教育も届く様にと、右様にして、また奢りを制し賭博を禁じるも、みな人々の為を思う故の事であるから我らが思う様に奢り賭博がやまないのは、結局は上の意識が下へ伝わらない故である。
我らはいやしくも天朝より三位の貴きに命じられ、将軍よりは三藩とも立置られ候上は、鹿(旧仮名遣い、荒いの意味)衣非食を用いる事を格別といとわず実行している。下々も自ずから準じて奢りをやめ博打もやめて、人々勝手を取り直すは、父母子弟の教育にもなろうと思う故である。
前にも云った通り、幸不幸にして貴賤はあるが、貴くして上に立つ者は、多く人を使う故に日夜心を労し、賤して下にいるもの、人につかわれて日夜力を労する事は、理の当然で上下ともに労する事なくしては叶わぬ。
故に、我らは日夜心労して何れも力を尽くして勤農いたすように。
上下共に常々奢り勝手にするならば、美服美食はいつもの事になる。
だから常々奢り、また博打をして農業をおこたり、ついには経営につまるとなれば、天より授けられたるたまものを我が物の様に思い、生死を自由にするはいかなる心であるか。よくやく考えて見よ。
我が身は父母から分かれたる身、我が子は我が身を分けたる身ならば、我が子を殺すは我が身を殺し、父母を殺すも同じに似て、天導くにおいては有るまじき事である。
故にその悪い風潮を化かさぬ為に、奢りを制し賭博を禁ずる。
今また我は務めにもこだわる程の普遍向迄仕置き、人々の分に応じ、家をも取り立て様と思うので、我らはこの様に日夜心を労する事を察して務農し、今日の経営に差し支えなく、孫彦に至るまで数多繁盛し、村々人数多くなり、一村に睦まじくして助け合うようになる程、如何ばかり楽しかろうか。
けれども左様にはせず、勝手は必至と通り、収納に差し支えながら身を飾り、表は富んでいる様にして、あるいは己の産業に勤めず、博打に心を使い、他より来る突者の物を欺き取ろうという悪心が起こる為に、却ってあざむかれ身を失うのは、若者の心と云いながら、あさましい事ではないか。
されば我が日夜心を労して、何れものを思えば、何れもはまた我心を労すること推察して、手足を労せずよろしきを得ようと思わず、日夜おこたらず、力を労して産業を務め、多くの子を養い共に繁盛し楽しむようにと思うべき、である。
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