巻之八十 〈二七〉 海獣、オットセイ

『余録』に書いたこと。寛政四年壬子冬に領内松浦郡大島の漁師の家の棚下に一頭の獣を捕えた。図を併記(写真)。
獣は犬のようで身は長く、細い毛は短く滑らかで光っている。背はねずみ色で腹は茶褐色。歯があって犬のようでいて牙はない。耳は極めて小さく、頭の左右にある。前足は魚のヒレに似て肉がある。表は毛があって、手のひらがある。爪と見られるものが五つ。後ろ足も魚の尾に似て肉の掌がある。五本指に三本の爪が生えている。爪と爪の間にみずかきがある。この両足の間に尾がある。小さくて仔犬のようだ。その下に陰戸がある。メスである。人はその名を知らない。
小野氏の『本草講説』を考えると、海獺(ラッコと図鑑にあるが)である。
後、村人の話すことを聞く。この獣はあしかと謂う。津吉の浜で見ることがある。小近、五島〈津吉、小近、五島、みな領内の地名〉の両地もまたあり、海中を群れて行く。
あるいは、石の上に上り伏せている。その中の一獣は眠らず、人が来れば、たちまち海に入る。そのほかも従って海に没して、跡を見ることはない。
この獣は波打ち際に上がるといっても、歩くことは出来ない。だから、石の上から転倒して、形を沈む(姿が見えなくなるか?)。
けれども海中においては、水面を走る(本文まま、面白いので)、原野の鹿のようである。
また、商舶が玄海の洋中で見ることもあるという。ただ、全身を見た者はいない。
またある人が云う。オットセイに牝牡があると。牡はその歯が重なり生えていて、牝は一重である。とすると海獺はオットセイの牝である。
今年、捕まえたものは、歯が一重で陰戸がある。その形は尤も似ている。すると村内にもオットセイがいるにちがいない。海獺も得ることが難しいので、未だその有無を知る者はいない。
   図は下の写真の通り
『仲正家集』
我が恋はあしかをねらうえぞ船の
      よりみよらずみ波間をぞ待つ
これを顧みると、三十五年前の文である。されども往時を思い返せば尚追ってみたくなる。
この獣を捕したとき、大島の漁師の家では幼児を失ってしまった。母親は子がいなくなったことに気づき、戸外の棚下を捜した。獣がいて、子を傍らに置いていた。母親は怒って、木でこれを殴り殺した。子は既にこと切れていた。だから、この獣を取り去り物と人は云った。
その後、死骸を取り寄せてみると、腹の大きさごすんにも肥えていて、囲一尺五寸余りである。首と尾はこれに応ず。
それで縄で頭をくくって、提げて揺らしてみたら、身体の柔らかく萎えて骨がないようにしていて、振ると波状に動く。ただそその生臭い獣の臭いは人は耐えられない。鼻を覆わなければ、近づき視ることは出来ない。

40087_o.jpg


(※ 以前、甲子夜話で虎は牡、ヒョウは牝と出てきましたが、当時の動物の牝牡の理解はこんなものだったとご理解下さい。生物学ではなく、あくまでも江戸の民俗ですので。)
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