巻之一 〈46〉 加藤清正一番鑓

加藤清正がその子の某(名を忘れた)に語ったという。
言うにはー。
「わしが秀吉公に従ってはじめて一番鑓をしたとき(何処だったか忘れた。賤ヶ岳であったか)、坂に登って向かうと敵がいた。
それと行きあって戦が始まった。
その時の胸中は、何かに向かっているのか暗闇の様に一向にわからない。
その時、目を閉じて念仏を唱えて、その闇の中に飛び込んで鑓を入れると、何か手応えがしたとわかると敵を突き止めた。
それからだんだんと敵味方を見分けたのだ。
後で聞くと、その時の一番鑓になった」
と言ったという。

(コメント)
加藤清正は、事実上の織田信長の後継者を決めるための「賤ヶ岳の戦い」で、先頭を切って敵陣を突破し、豊臣方から柴田方へ寝返った山路正国を討ち取り、特に功績の大きかった7人の内のひとりとして「賤ヶ岳の七本槍」と呼ばれるようになったといわれている。
一番鑓(やり)は、戦国時代の戦では武勇の誉れ高き事であった。
しかし、加藤清正には3人の男子がおりましたが、上の2人を幼くしてなくしていたので、清正の死により、家督を継いだのは三男の加藤忠広でした。しかもまだ11歳という若さでした。
そのため家臣を上手くまとめられず、しかも長男の光広が面白半分に、大名たちの名前と花押入りの謀反の書状を作ってしまい、これが幕府にしれ、お家取り潰しとなってしまいました。お家が復活したのはそれから21年後の1632年です。ただ、所領は出羽国の1万石でした。光広は事件の翌年亡くなっています。
この甲子夜話では「某(名を忘れた)」と書いていますが、恐らくあえて名前を書かかなかったのでしょう。
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コメント

No title

一般には一番槍(一番鑓)といいますよね、鎚(つち)は斧のようなもので、戦で最初に手柄を立てるのはやはり一番槍だと思うのですが。 漢字は「鑓」ではないですか?戦国武将の誉れですね。

No title

木村 さん
そうなんですね

No title

それから、「敵混方を見分けた=敵味方を見分けた」と言う方が一般的かと・・・。原文がないので分からないのですが、現代文にするならこちらかと思います。

No title

この文も奥が深そうです。甲子夜話も深読みありですね。加藤清正の子孫の名前を忘れたとぼかしていますが、江戸時代になり加藤家はお家取り潰しになっているようです。敢えて名前を出さなかったということではないかと思います。

No title

木村 さん
そこを思いやりながら読まないといけないのですね。いかにも日本人的ですね。
松浦家はお茶の鎮信流のお家元です。お茶の世界の気配りを感じました。
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