巻之二 〈27〉 立ち位置を理解すること

中村弥三郎(富士見御宝蔵番。和哥(本文は歌から欠をとっている)をよくする)が語るにはー。
某〈名忘れ〉は江都(えど)で名のある狂哥(本文は欠なし)人で、その道の宗匠である。
ある時、狂哥(欠なし)集を選んで、これを京師(みやこ)に上らせて、冷泉某殿(名忘れ)に点を乞うた。
けれどもその後一向に沙汰がない。
だからまた手寄(たより)を求めてその左右を聞くと、かの歌集が返された。
某は喜んで開き観るに、一首も点がない。
これは如何にと再び視るがない。
とうとう本の末に一首の歌を見つけた。
某がよく視ると、冷泉殿の手跡である。
敷島の道を横切るかま鼬
  てんになるべき言の葉もなし(本文ママ)
狂哥(欠なし)師はこれを読んで、流石は歌道の御家と恥入った。

※歌から欠を取った字(哥)は、本家本元からは今ひとつの者に使う言葉なのでしょうか。
冷泉殿にはちゃんと歌という字を使い、線引きがあるように思いました。

(Note)
一流とは言えない者には歌から欠を取った字を当てていて、冷泉殿には歌という字が使われていました。
その字で区別されているのでしょうか。

中国語では「哥」は兄など年上の男性を指す言葉だそうですが、日本では普通に「歌」と同じように使っていたと書かれていました。
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コメント

No title

一流とは言えない者には歌から欠を取った字を当てていて、冷泉殿には歌という字が使われていました。その字で区別されているのでしょうか。

No title

初めて「哥(うた)」を知りました。昔はどちらも使ったようですね。中国語では「哥」は兄など年上の男性を指す言葉だそうですが、日本では普通に「歌」と同じように使っていたと書かれていました。ただ、甲子夜話では原田さんの言われるように少し使い分けているのかもしれませんね。

No title

また、和哥、狂哥などとは使うが、ただ哥う(うたう)とは使わないようです。
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