巻之六 〈38〉 浅野氏、志厚き家法

芸侯浅野氏は、もと豊臣家の臣といえども国家の厚眷をもって大封となられたという。
敬上報国の道において、他家よりも分けて心を尽くす家訓とのこと。
献上物件でもちゃばは洗うこともならないと、壺に盛るとき自身で匙をとり盛る。
その時は前夕より齋戒して礼服を着け、おも立ちたる有司並び居る所で為すという。
また西条柿もその事は同じと、自ら見張り居り、事を執るものは匣(はこ)に詰める。
匣の目張りをするまで自身で見届けると云う。
城下に神君の御宮がある。
月参りのとき、大抵の病があっても、強いて浴澡剃頭して、必ず拝することを法にしているという。
その他おのずから下に及んで、藩臣の主を奉ずる志の厚きも、他家よりは勝る。
元禄中末家赤穂侯の遺臣、復讐の事は世に喧伝するに至るのも、自然その家法の薫染に出ると云う。

(コメント)
歴史的には関ケ原の戦いで功績のあった浅野長政が和歌山城に入りますが、ここを息子に譲って隠居になります。
しかし家康から空いていた茨城の真壁(5万石)を隠居料としてもらって入り、この地で亡くなります。
墓も真壁の伝正寺にあると思います。
そして息子に譲った和歌山の浅野家が広島(安芸)に移ったのです。
真壁の浅野家はその後真壁に陣屋を残して笠間に移りました。
しかし笠間は山の上に城があり、山城では不便で街中に家臣が集まれる建物を建てます。
これが城を建てたとして、1国1城令に違反したとして赤穂に移されたと言われています。
そして赤穂浪士の事件が起こる。
赤穂浪士には笠間や真壁出身の人も多かったようです。
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