巻之七 〈15〉 藤堂高虎、至高の忠義

上野にある神祖御宮は寒松院の隣にある。
この院はすなわち藤堂高虎の〈寒松院は高虎の法号〉の埋葬地である。
この故は神祖御世の中、高虎は忠勤していたから。
後神祖の御病が重くあらせられた時に、高虎は御床の下に候ず。
時に神祖が言われた。「はや今生に別れたらば再び逢うことはないだろう」。
高虎が答え奉るには「臣(自分)はまた地下に於いてまみえし奉る事は難事ではございませぬ」。
神祖は再び曰く。
「なるほど。但し汝とは宗旨が違う。恐らくは同所に往生いたさぬ」。
高虎曰く。
「尊慮を煩わされませぬよう」。
即御次に退き、改宗して天海僧正の弟子となった。
また御前に出て、その事を申し上げた。
神祖は殊に喜ばれた。
高虎が卒るにおよび遺命して上野に葬らせた。
これは地下に於いて、永く御側に侍する御約束を奉ぜた所だという。
(この様に)聞き及んだが、(人から聞いた事でも)涙を催させるである。

(コメント)
城つくりの名人とも称された藤堂高虎という人物や家康との関係などを理解しないと解釈も難しいです。
神祖は家康のことで、神祖御宮は「家康の御宮」であり(上野)東照宮のこと。
上野東照宮のHPに記載されている内容に、
「 1616年(元和2年)2月4日、天海僧正と藤堂高虎は危篤の徳川家康公の枕元に呼ばれ、三人一つ処に末永く魂鎮まるところを作って欲しいと遺言されました。 天海僧正は藤堂高虎らの屋敷地であった今の上野公園の土地を拝領し、東叡山寛永寺を開山。境内には多くの伽藍や子院が建立されました。1627年(寛永4年)その一つとして創建した神社「東照社」が上野東照宮の始まりです。」とあります。
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コメント

No title

さっと読んでも、なかなか理解することが難しいですね。藤堂高虎という人物や家康との関係など歴史を紐解かないと・・・。
神祖は家康のことで、神祖御宮は「家康の御宮」であり(上野)東照宮のこと。

上野東照宮のHPに記載されている内容に、
「 1616年(元和2年)2月4日、天海僧正と藤堂高虎は危篤の徳川家康公の枕元に呼ばれ、三人一つ処に末永く魂鎮まるところを作って欲しいと遺言されました。 天海僧正は藤堂高虎らの屋敷地であった今の上野公園の土地を拝領し、東叡山寛永寺を開山。境内には多くの伽藍や子院が建立されました。1627年(寛永4年)その一つとして創建した神社「東照社」が上野東照宮の始まりです。」とあります。

No title

神祖は何度も出てきましたが、初めての方の為に家康公と()書きは常にするべきでしたね。
神祖を初めて見た時は、家康公とすぐわかりました。文脈から。

No title

原田さん わたしも文脈からわかりました。分からないひとは、あれこれと調べて見るのも、話が続いて面白いと思うのです。本を書く訳ではないので🍊☘️

No title

でも、私がHP記事などを張り付けてしまいましたが、この東照宮のHPの内容をどこまで信用するかは読者の知識力などが試されますね。私も皆は信じずにいますが、もっといろいろ調べることが必要のように思います。天海大僧正も会津から茨城県の江戸崎の不動院にいた。その後江戸の家康の元へ。歴史的にはいろいろなぞもあり面白い。江戸崎での民話ではあまり評判が悪いものもあるし(へっぴり坂)。

No title

木村 さん
流石深い知識ですね。江戸崎の民話を今確認しました。雨乞いに力を入れる発揮されてるけど、ヘッピリ坂は、土地のお坊さんの嫉妬ですね。何の為に修行して人を導いているのでしょうね。

No title

これは歴史を振り返らないとわからないですね。江戸崎は鹿島神社に残されていますが、桔梗紋の明智家と同じ土岐氏が中世に納めていました。戦国末期にここを佐竹氏が奪ったのです。その時に会津芦名氏に跡継ぎがいなくて佐竹氏が弟を送り込み、会津芦名氏となっていましたが、伊達政宗により会津城が陥落して芦名氏(佐竹氏の弟)は常陸に逃げ戻りました。そしてこの江戸崎を弟である芦名氏に与えたのです。もともと江戸崎不動院には土岐氏が納めていたのですが、ここに会津から天海を連れてきたのです。このため今までの近くの同じ宗派の寺院が持ち回りでまとめ役などをしてきたので、この天海が突然やって来て大きな顔をされた腹を立てた他の寺院の僧侶たちが夜に不動院を襲撃したのですね。驚いて逃げた天海が隠れた空井戸なども地元にはありますよ。原田さんも江戸崎はよくご存知だと思いますが、念のため。

No title

面白いお話しをありがとうございます。天海僧正のことは、あまり良い感じは持っていなかったのですが、やはり時の権力者に重用されるに足る器が有ってのことだと思いました🌌🎯🐝

No title

高虎は忠義の士ですね🌌🐝地下においてもと… 云うところが、苛烈な戦国時代を生き残った武将同士の、わかり合える心境のように感じます。
来生と云わずに🐝🦗🐗

No title

ここまでの忠義があるんだと驚きです。
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