巻之七 〈17〉 箱根山関所での笠

松平楽翁(定信)が顕職(高官の職)の時に、公用で京に上っていた。
その道中箱根山を越すときは、歩行(かち)で笠をつけながら御関所を通られる。

御関所の番士は、何れも白洲(白砂の庭園)に平伏せして、番頭が一人頭を挙げて声をかけてきた。
「御定法にございます。御笠をとらせるように」と云っている。

楽翁はすぐに笠をぬがれ、通行して、小休の処から人を返して、かの番頭に申し遺されるるには、「先刻笠を着したのは、我らの不念(不注意)であった。

御定法を守ること感じ入った」との挨拶である。

この事、道中の所々に言い伝えて、その貴権を誇らず、御定法に背かぬ姿にますます感仰(仰いで君恩に感ずる)されたと云う。


※ 松平楽翁〜定信。 江戸中期の老中。 陸奥国白河藩第3代藩主。 1787〜93に寛政の改革を行った。


(コメント)
箱根関所には関所の入り口に、1711年に木札(御制札場)が立てられた。
そこには次の5項目の取り調べ内容が書かれていた。
一、関所を通る旅人は、笠・頭巾を取り、顔かたちを確認する。
ニ、乗物に乗った旅人は、乗物の扉を開き、中を確認する。
三、関より外へ出る女(江戸方面から関西方面へ向かう女性:出女)は詳細に証文と照合する検査を行う。
四、傷ついた人、死人、不審者は、証文を持っていなければ通さない。
五、公家の通行や、大名行列に際しては、事前に関所に通達があった場合は、通関の検査は行わない。ただし、一行の中に不審な者がまぎれていた場合は、検査を行う。
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