2020/12/23
ちょっと一言
甲子夜話の下手な解釈に目を通して頂きありがとうございます。平戸藩主であられた松浦清静山公が20年に渡り書かれた7000にも及ぶ随筆ですが、7000編を急いで読まなきゃと思っていた為に、解りづらい話をどんどん出していたことになります。お詫び申し上げます。
ペースが早過ぎとのご指摘も受けていましたし。共に取り組んで下さる方々もおられるので、どうしたら良いか。
まず背景を学んでから、甲子夜話の本文に入っていこうかと思っております。
甲子夜話の中に出てくる事物は、将軍、藩主、庶民、河原者と呼ばれた人々、生き物、植物等など多岐にわたります。
一人ひとりの輪郭を取りながら進めて行こうかと考え直しました。
それで、より息づかいが伝わるまとめ方になればと思っております。
今また取り組みたい人物がいます。鍋島第10代藩主直正と3歳上の女房の11代将軍家斉の姫、盛姫です。
文政8(1825)年に直正12歳、盛姫15歳で婚礼を挙げます。
直正、天保元年(1830)年に藩主になり、佐賀入りします。
当時の佐賀藩は藩政がひっ迫していて、若い二人は改革を始めます。
しかし、天保6(1835)年に佐賀城二の丸が焼けてしまいます。盛姫は幕府から、2万両を借りて城を再建します。
天保9(1838)年に完成。
直正が右近衛少将に昇任したのも姫の働きによるものといわれているそうです。
姫は惜しくも弘化4(1847)年に病の為、37歳で逝去されますが(直正公は後に再婚)。
同じ肥前国ですが、平戸や長崎とは、様子が違います。
街の様子は、常陸国と似た処があります。
常陸には、佐賀という地名があり、佐賀さんがおられて。
少し落ち着いて、背景を観ていく事で、本来の甲子夜話がみえてきそうです。
お時間のある時に目を通して下さると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
(by S.H)
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コメント
No title
昔の話の小さな解釈に拘らずに、大意を汲み取れれば良いと思うのです🍊
賛成です🍏
2021/01/08 12:38 by 和賀 URL 編集
No title
2021/01/08 12:39 by Saitou URL 編集