巻之三十ニ 〈2〉 男女別湯は、文化国の証

江都(えど)の町中にある湯屋。
わしが若い時まで稀に男湯と女湯に分けることもあったが、多くは入り込みと云って混浴していた。

それで聞いたところによると、暗所または夜中は姦淫がよくあったという。
その為、寛政御改正の時に改まり、男湯と女湯に分けて別々に入浴すること、下々の者が入る巷の湯屋に至るまで都下は全てこの制が行き届いたと見える。

かの寛政御政の中にも緩んだこともあるけれども、この湯屋のことに関しては今に違わぬ善政の御採択である。
また中川飛州が選んだ『清俗記聞』に、かの国に当時坊間の湯屋のありさまが見られる。
その風呂家に聯額(れんがく、対句を分けて左右の柱にかけたもの。中国の風習)を設けていた。
聯には、

楊梅結毒休来浴 
   (梅毒患者は来ること、入浴を休む事)
酒酔年老没入堂
    (酒に酔った老人は入浴するなかれ)

さすが文明国の風格である。
またその湯屋に婦女は見えない。
何という制だろうか。

また文化中(文化9年)、薩摩の士の船(永寿丸)が漂流して広東に至った時に、帰船する前に蘇州の 乍浦(ながらうら)で洗湯に行った。
唐人と共に入湯したが、婦人が入ることはなかったと記された。

さすればその制が存在しているとみた。
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コメント

No title

江戸時代は混浴(入り込み)が普通だったなどと思いましたが、後期にはかなり男女別に分かれたようですね。何度も禁止令が出たけど無くならず、静山公がなくなった1641年のころの天保改革でかなり厳しく規制が行われたと書かれていました。
https://www.1010.or.jp/guide/history/

No title

木村 さん
ありがとうございます。
お上からのお達しがあってもあっても庶民の間に当たり前になるまでに時間がかかるのが、自然なんでしょうか。
コロナ禍のニューノーマル下における意識も既に差が出てきている様です。
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