巻之一 〈5 〉 忍びがはたらけないお城の造り

何れの時か、武田勝頼は神祖(家康公)を密かに害し奉ろうと忍びを遣い御坐所の床下に入り刺すようにと命じた。
その者が戻ってきた。
勝頼は「どうだったか」と問うと忍びが云うには「床下まで入ったけれども、床が低くて刀を使うことが出来ませんでした。それで何も出来ず帰りました」と答えたという。

一日、述斎林氏に話すとこう云った。
「神祖は駿府城へ移り玉わろうという際に、造りを命じられるとき、床の高さは女子の上り下りが自由になる程にするようにと云われた。すると間者は床下で、はたらきが出来ないだろうから」という上意があったのだと云う。
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