2021/01/13
巻之四 〈32〉 正月の門松、家々さまざま
正月の門松飾りは諸家様々である。一般的に年越しから七草の日までだが、15日までの家もある。
筑前の福岡侯支侯、肥前の佐嘉(さが)侯、対馬の宗氏、わが松浦家も同じ。
南部盛岡侯、岩城氏(出羽の亀田)等も同じ。
また宗氏は門内に松飾りがあるが、玄関の方を正面に向けて立てて、松ではなく椿を用いる。
わしの家は椎の枝と竹を立てて、松は用いない。
これは縁起のある故である。
また平戸城下の町家には、家毎に15日まで飾る。
また大城の御門松も世の中とは違うようだが、忘れた。
安藤侯の門松は故事があって、官より立てられていると云う。
この他聞いたところでは、姫路侯の家中に、以前最上侯に仕えた本城氏は、松を一般的なやり方で作り表には立てず、裏に寝かせて置くという。
これは昔、門松を作るばかりにして戦に出たら、勝利したのだという。
また同家にかつて名波家に仕えた力丸氏の門松は、一方を立て、左右には飾らない。就いては上の横竹もないし、飾りもない。
これも半ば作りかけのまま、戦に出て勝利した良い例である。
また直参衆の曽根内匠は竹を切らず、真ん中より下の枝を取り去り、長いままで立てて、末葉を作る。
横に結ぶ竹も同じ〈小川町に居る〉。
また佐竹侯は門松がない。
これも何か困厄の後に勝利したからだと云う。
御旗本衆の岡田氏も門松がない。
訳はまだ聞いていない。
これは織田家家老の家なので、古い訳があるのだろう。
また聞いた。
新吉原町の娼家では門松を内を正面に立てるとのこと。
これは客が(中途で)出て行かない様にとの願いだという。
またわしが若い時の上野広小路の一方は大抵買女家で、いわゆる私窩(しか)である。
この戸外にもみな内向きに立てる。
その前の道は登山の閣老、参政、大目付け、御目付け等行き来があるので、私窩の生業を目立たないようにしているという。
その辺りは寛政の頃より生業を改めて、いわゆる商家になった。
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コメント
No title
2021/01/13 07:22 by 木村 URL 編集
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東北の個人宅ではもともと門松や恵方巻きなどの風習はないので、西日本から江戸時代の参勤交代で大名が各地に持ち帰って広めたのだろうと考えていました。
武家にとっては本来の由来や意義よりも縁起なほうが優先だったのはおもしろいですね。
2021/01/14 11:49 by 五十嵐 URL 編集
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コメントありがとうございます。
甲子夜話を読みながら、はじめて知る事も多く、大胆な藩主さまやお武家さまもゲンカツギをされていたとは人間臭いなあと思いました。
2021/01/14 11:50 by 原田 URL 編集
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わが家でも門松をつくります。今年は遊び心で竹を5本に組み、「寄せ植え」風に玄関を飾りました。
さて今年も家内安全で暮らせるでしょうか。
2021/01/14 11:51 by 村上 URL 編集
No title
ありがとうございます。
甲子夜話、まだまだ続きます。下手ですが、口語体を現代語に試みていますが、静山さまに「くぉら〜、わしはそんなこと言っとらんぞ💢」と言われない様に頑張って参りたいと思います。
遊び心一杯の寄植えの門松素敵ですね。余裕が全てだと思いますので、良いお年になると存じます。
2021/01/14 13:41 by 原田 URL 編集
No title
2021/01/15 16:27 by 岩佐 URL 編集