続編 巻之六十三 〈1〉 弁慶を慕う本多忠義

本多能登守忠義は、中書忠勝の孫で、その子忠敬の三男である。
『藩翰譜(はんかんふ、新井白石著の江戸時代の家伝系譜書)』に書いてある。
十三歳で父に従い大坂の陣に向かったと云う。

また曰く。
大相国の仰せとして、寛永四年(1627年)に、播磨国で初めて所領四万石を給い、終に奥州白川で十万石に至った。
漢文二年(1662年)、入道して鈍斎と号し、延宝四年(1676年)九月卒に至り、七十五であったと。

近頃聞いたことたが。
「忠義は常々弁慶の人となりを慕っていたが、到仕法体となって、直に武蔵坊弁慶と称したいと請うていたが、余りに異風であると、御充(ゆる)しがなかった。すると頓(ぬかずい)て、能登坊と称したと」。

定めし弁慶の号を御免なかったので、鈍斎とは更(か)えるであろう。
〈以上のことは古老の話だとのこと〉。
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