巻之二十一 〈18〉 伽ばなしの行方

清正の臣森本義太夫の子を宇右衛門という。
義太夫の浪人の後、宇右衛門は我が天祥公の時しばしば伽に出てはなし等を聞かれる事になった。

この人、かつて明国に渡り、それより天竺に住み、流沙河を渡る時鰕(エビ)を見たがことに大きく数尺であったと云う。
それから檀特山(だんとくせん)に登り、祇園精舎をも覧て、この伽藍のさまは自ら図にして持ち帰った
〈今その子孫はわしの内にいる。正しくこれをを伝えている。たが今は模写である〉。

また跋渉(ばっしょう、方々を歩き廻る)の中、小人国に着くとーちょうど小人が一石を運んで橋にしようと架けていたのを、宇右衛門は見て、石を水にわたして橋を完成させた。

小人等は大いに喜び、報酬として多くの果物を与えた。

これも今に伝えているが、年を経た為か、今の話では梅干しの様なものになっている〈初めは沢山だったが、人にも与えて僅かニ三と今はなっている〉。

近頃、ある人の曰く。
これ等が行き着いた処は、まことの天竺ではなく、他邦だと。
流沙河もその本処は砂漠で水がない。
だから我が邦で常に聞くに従って、これを流沙河と名付けたものである。

また山舎の様なものもみな違う所だろう。
かの国にこの類はなお多くある。

また小人国南北の処々にあって、この小人は何方のものだろうか。

如何にも外域、遥か遠く過ぎる地に到るのは疑うものはないが、その頃は世界四代洲の説も未だ開けぬので、もやもやしている。

※ 流沙河(りゅうさが)は「西遊記」で沙悟浄(さごじょう)が住んでいたといわれる河。
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