三篇 巻之六十四 〈7〉 鎮信公と金子氏

わしの厩の仲間(ちゅうげん)に金子氏の者がいる。
わしの馬の口付をしてしばしば途話にも及んでいる。
その男の祖は、法印公(松浦鎮信、1549~1614平戸松浦26代当主、平戸初代藩主)の時に、対朝鮮の軍にも従い往った者である。
この者は公の戦場に従い、毎に御馬に添って立っていた。
すでに戦に臨んで、公は御馬を馳せようとなさると、御轡(くつわ)をつかんで放さない。
公は怒り、「離せ、離せ」と仰っても離さない。
「まだまだ」と云って動かない。
公はますます怒り、御采配で頭を撃たれた。
それでもはなさない。
要はその機会に至るのを見て、「今(サァ)」と叫んで御馬を放った。公は即座に敵を突き、即ち勝たれた。
またこれに限らず、先陣の戦で公の意図に協(かな)わなければ、「鳴鳴(アーアー)」と高い声を出して、御幣の柄を咬まれる事が度々あったと。
因みに御幣の柄は竹で出来ているが、御歯の痕がことに多く着いていたと云う。
今その物は伝わっていない。恨めしい。

またこの金子は先陣にあって、公は夜に入れば毎に屯営を巡られた。
この時の金子は毎に御馬に随いた。
公自ら松明を持って御馬を進められた。
時が移ると松明の燃えさきは闇い。
その時はいつも金子の頭で、燃えさきを僕(うち)払い、光を出された。
その若さにより金子の頭は火の為にかたまって、ほとんど焦土の様だったと。
主従の勇剛に想いを馳せてみたい。

◎上の事をある日宗耕に語ると、はたして神祖(鎮信公)にも御拳で御鞍の前輪を叩かれるのは御癖で、御先手または諸軍の中、御意の様にならない時は、声高に御指揮があって、御拳で御鞍を撃たれた。
それ故に、御手指(ゆび)の節がコブの様で、伸び縮みが出来づらかったと。
また崩御の御時は、御病故か、御指が伸びて曲がらなかったと云うのですね。
関連記事
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

プロフィール

百合の若

Author:百合の若
FC2ブログへようこそ!

検索(全文検索)

記事に含まれる文字を検索します。

最新の記事(全記事表示付き)

訪問者数

(2020.11.25~)

ジャンルランキング

[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
667位
ジャンルランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
131位
サブジャンルランキングを見る>>

QRコード

QR