巻之49 〈28〉 京都六波羅蜜寺の清盛公像

京都の六波羅蜜寺に、平相国僧形の像があると聞いた。
それで永昌寺の僧端的が上京するので、見て来るようにと託した。
明くる年に帰って云うには、正しく木像があった。
「その形を写し上(たてまつ)りたく、潜(ひそか)に画者を伴い往きました。かの役の僧の輩は、扉を開けはいたしますが、(拝見は)写真(写真は、1839年にフランスから、1843年にはオランダ船が長崎に写真技術を持ち込まれた)に於いて許されたので、空しく還ってきたのです」。

するとその体は如何にと問うと、
「坐像で長さ2尺7、8寸。右手に経巻を持ち、左手は如意を持っていました。像の眼は経巻を見ている様でした。年月を歴(へ)、塵染みしていて漆の様です。袈裟があるようには見えません。眼は玉を嵌(は)めてありました。破風造りの厨子に安置してあり、その前に遍がありました。平相国清盛公の6字が書いてありました。この六波羅蜜寺の本尊は観音にて、今17番の札所と云います。また本堂の処は古平相国の宅跡でした」と云って伝えてくれた。

因みに『山城志』を閲覧すると、(そこに)云う。
この寺は鴨河の東五条に在り。
天暦五年釈の光勝が創建した。
『元亨釈書』を見るに。また六波羅の第址は、河東五条六条の間に在り。
平の正盛が相伝えて、相国清盛公に至る。
平族は多くここに居れり。疆(境)域広を加うと云う。
これに拠れば相国の宅址は今の波羅蜜寺とは別の処である。
また『集古十種』を見ると、この像を図した。
的がことの様である。
すると的の言い方は暗記の誤りか。
袈裟は図にもまたなかった。

※清盛公坐像の図はありませんでした。
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