2021/02/09
水雲問答(9) 治国の術は多端
雲:白雲山人・板倉綽山(しゃくざん)1785~1820年 上州安中の藩主水:墨水漁翁・林述斎(じゅっさい):1768~1841年 儒学者で林家(幕府の大学頭)中興の祖
松浦静山・松浦 清 :1760~1841年
水雲問答(9) 治国の術は多端
<雲>
凡そ治国の術は多端、其緊要は人を知るの一件に帰し申し候ことと存候。人を知るの難(かたき)は堯舜(ぎょうしゅん)の難(かたし)とする所にして、常人の及ばざることながら、治国秉政(へいせい)の上にてはこの工夫専一と存候。
尤(もっとも)朱文公(朱熹:朱子学の祖)、人に陰陽ありの論は感服仕り候。なにぞ慥(たしか)なるご工夫候はば伺いたく候。いづれ活物は常理を以(もって)はもって推されまじくと存候。
(訳)
国を治める術は複雑で多方面にわたっており、その非常に重要な要件は人を知るという一点に帰すると思われます。人を知ることの難しさは堯舜(ぎょうとしゅん:中国古代で徳をもって天下を治めた聖天子堯(陶唐氏)と舜(有虞氏))の二人の帝王でも難しいことで、常人ではとても及ばないことであるが、国を治め統治する上ではこれを工夫していくことが第一でありましょう。
もっとも、朱文公(中国・宋代の儒学者朱熹〔朱子〕(しゅき1130−1200)の尊称)の「人に陰陽あり」の論には感服いたしました。何か確かな(人を知る)工夫がないかお伺いいたしたく存じます。しかし人も活物(いきもの)ですから常理(変わることのない道理)を以て推進はできないと思われます。
<水>
此ことは実事中の最大事、最難事に候。惟聖難諸と申(もうす)より、世々の賢者皆手をとり候こと別に才法あるべきとも申しきせず候。
陰陽先手近く候はば、是迄効験多く候へども、大姦に至り候ては、陰を内とし陽を外にして人を欺(あざむき)候こと往々にこれ有り、陰陽も一図に拘(かかわ)り候て手を突き申し候。
都(すべ)て古人の訓言は、大筋をばよく申したる者に候へども、細密枝葉、変の極に至り候ては、説破も及びび難(がたき)の義多く候。つまりの所見る人の高下により申すべきや。山水を見るも、其(その)人品の高下に従ひ候こと、羅鶴林風流三昧の論に候へども、人も其通り多(おおか)るべく候。 この方の下の者は随分見通し申すべく候。上段になり候と、見損じ申候。見る人の見当尺に善し悪しの論も立ち申すべき、迚(とて)も我が分量の外の事業は出来申さぬもの、人知り迚(とて)も同一様事たるべく候。
然(しかれ)ども謙譲しては大事は出来申さぬもの故、我より上段の人迚(とて)も、平等に監破の心得はなくて叶わなきことかと存候。
是は大難問にて何とも別(ほか)に申すべきようも之れ無く候。
(訳)
このことは実際に行う事の中で最大事であり、かつ最難事であります。惟聖(いせい)難諸(なんしょ)と申すより、世の中の賢者が皆手をとりあうこと以外に良い方法があるとは思われません。
陰陽(朱子学)では先手近くであれば効験(効果)が多くありますが、大姦(おおいに悪賢い)ことになれば、陰を内とし陽を外にして人を欺くことは往々にあることです。陰陽もそればかりに係わっていると躓いてしまうでしょう。
すべて昔の人の訓言(教え)は、大筋を言った物でありますが、細密や枝葉のような、変の極に至る議論は説破(せっぱ:説き伏せる)するのも及びにくい義(条理)が多いです。
つまりのところ見る人の高下(上下)によって申すものです。山水を見るにしてもも、その人の品格の高下(上下)により違ってきます。また羅鶴林(沙羅双樹の林:釈迦の入滅の時に沙羅の林が一斉に鶴が飛んできてように白くなったといいい伝え)の風流三昧(ざんまい)の論でありますが、人もその通り多いでしょう。
この下の者は随分見通せるといいます。しかし上段になりなすと、見損じたというようなことをよく申します。これは見る人の見る尺度にある善し悪しの論が異なる事で起ります。とても我が分量の外(ほか)の事業は出来ないものです。「人を知る」ということも同様であろうと思います。
そうはいっても謙譲し(遠慮し譲って)いては大事はできないことですから、我より上段の人であっても、平等に監破の心得がなくて叶わないことと思います。
これは大難問にて何とも別(ほか)に言いようもありません。
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