続篇 巻之2 〈4〉 盛岡侯のこと

奥の盛岡侯〈南部信濃守利済、なんぶとしただ、1797〜1855。2度(1547年と1854年)三閉伊一揆が勃発した。2度目の一揆の後に江戸屋敷で蟄居を命じられた〉は、近代打ち続く不幸のため、以前退身の嫡子信州と称する人の子で僧になったのを還俗して家督を継いだ。

僧だったときに、わしの隠荘北隣福厳寺と云う曹洞禅の法眷なので、今の福厳住持のその行実をよく知る。
その侯は、家を継いだ始めに諸臣の兵具を問いただした。
武器不足する者は、総て補い與えよと。
また帰俗の後もとかく以前の禅機を持して、戒行厳粛であると。
またこの度津軽侯は、逼塞(ひっそく、江戸時代武士や僧侶に科された刑罰)を仰出されたときに、家臣に命じられたのは、

「汝輩も知る通り、かの侯はもと我が家臣であったが、諸侯に列するのは天幸である。今計らずも恥辱を蒙るのは、憐れむこと甚だしきである。かの逼塞中は我が内の者どもは尤も穏便であってくれるよう。これは旧を念う厚情である」と。

聞く者はその徳意に感じ入るばかりであった。
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