2021/04/08
続篇 巻之73 〈17〉 JNRI
この蛮文は、上野国の多湖羊太夫の碑の傍より先年石柩を掘り出した。その内に古銅券があった。
その表題の字がこんな物だった。
その後、ある人が、蛮書き『コルネーキ』を閲覧して、耶蘇が刑に就く図がある処の像の上に横架を描き、またこの4字を題していた。因みに蛮学通達の人に憑てかの邦の語を糺すと、その義は更に審にしないと。
多湖碑の文は、和銅4年3月とある。
この年は元明の朝(元明天皇(660〜721年)の朝廷)で、唐の睿宗(えいそう、唐の皇帝662〜716年)の景雲2年(711年)である。
今天保3(1832年)年を距(へだた)たること1122年。
するとかの蛮物は如何なる物なのか。
古銅券と横架の文と同じきこととは、疑うべきである。
また訝るべき物か。
前編63巻に、この碑下より十字架を睹(み、見分けるの意)出したことを挙げておく。
これと相応じることとなるだろう。
尚識者の考えを俟(ま)つ。

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2021/04/08 11:30 by Roman URL 編集