巻之19 〔25〕  諸家の模範  その3

 仙台は養賢堂と学校を名づけ、儒役の者は日々出仕して教授する。
城下で、この町は何、この町は何職人と雑(まじわ)り居する。
織物も細工も自国にないものは世話をして拵える。
諸士は地方で知行(領主が行使した所領支配権)を取って、何貫と云うものもある。
近来、知行を地方で出す所は、仙台、薩摩、安芸、阿波、土佐、秋田、南部でその外は聞かない。

 肥後は古の政所の制によって、奉行所と云う役所で政務を行う。
民百姓80以上の者は扶持を与え、時習館と名づけた学校を立て、諸士を訓導する。
再春館と云う医学館をたて、医書を教える。
何れも他領の人迄佸(あつめ)て教導する。
火事羽織は主人も羅紗を用いない。
上下ともみな革羽織であり。長州も左様である。

 小倉侯、思永の2字を自筆して館の名にして、教授1人、助教4人が置かれている。

 安芸は法令巌である。
門の出入りは1刻をちがえても格碌を削られる。
去年は頭で在番したが、今年は組付けになって来るものがあった。
書状の判は総て自身で書くよし。

 伊藤家は妻があれば妻の扶持を与える。
嫡子がいれば嫡子に扶持を与える。
下男のふやせば扶持を与え、人が入用の時は家中を触れまわり、隙入りなき人の下男を、日雇い銭つかわしてつかう。

 青山備前守殿、総領9歳になれば扶持を与える。

 服部仲殿は家老15両5人扶持、用人10両3人扶持、給人8両3人扶持、中小性6両2人扶持と定めて、段々立身させる。

 米沢に聖堂があって釈菜(せきさい、儒学の祖孔子を祀る中国式の祭典)を執行する。
30万石半知になっても人を減らさないので、少身ものは米を雑炊にして食する者が多い。
何も細工して助成する。
足軽は脇差ばかりにして、細工の物を売りに出して、国許(くにもと)では7月13日より3日の内、本丸大書院にて、越後以来打ち死にの者、大功ある者、陪臣に至るまで自身に祭る。

続く
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