巻之19 〔25〕  諸家の模範  その6

 相馬では、妙見の祭礼に駒取りいたすといって、前日の申の刻(午後3時から5時)より人数を揃えて、主人はじめ諸士、医者は法師武者で城を出る。
軍法のように押し出す。
妙見の原に仮屋があって一宿する。
朝になると騎馬の士は列を立て野馬を追い出し、柵中へ追い入れる。
小人どもは襦袢で手取りに致す。
総て質素な歌風で、公儀の御用を勤める時節にも、武器以下有り合い(ありあわせ)の物を用い、見事なことはしない。
振る舞いは先代土屋から養子にしたとき、実方の振る舞い致した以来ないとのこと由。
仙台の境に墓所がある。
戦争のときこの山を1人も越さぬように守ることと先祖の遺訓で、代々の葬地にされる由。

 伊達の相馬と、嶋津の伊東と、何れも大身な人を敵取り、太平のときもその危を忘れぬ由。

 紀国には講堂があって、儒者が日々勤仕する。
諸士を集めて、教授する。
勝手方は基盤つもりだが、諸事入用、一紙に見えるように卦(けい)引きして、年によって差し引きされる。
また俗疱瘡にかかり山へ遣り置くので、死者が多いが、貧人には米を与え大切にいたわりやるべしと申し付ける由。
その外90以上の者へは扶持を賜る由。

 今年の参勤は倹約をして、供の面々、武器有り合いのままであるべしと触れられたが、大寄り合い朝比奈総左衛門は武器立派に照り輝いて出立した。
目付け役がとがめると、拙者宅では、先祖から武器の分は1年に1度づつ塗り替え、御供の諸士、有り合いを用いよとのこと、古い物を買い調(ととの)えよには心付けず、そのまま用ゆと答える。
総て朝比奈、代々勝手よくも、心がけ善き故である。

 井伊掃部(かもん)殿は京都へ御使いに参らるとき、彦根へ立ち寄り、それより行列を立て、弓鉄炮は箱に入れ、足軽共左右につけ参り、見事なものは他にない。
彦根の者は差し替えの大小、着替えの具足所持しない。
額付羽織の寸法がある。
主人も1本道具、1つ挾(はさみ)箱である。
老中招請にも、囃子(はやし)で、一汁五菜である。
外へ振る舞いに行っても6時限り(午後6時頃)に帰り、宵の口でも外にいることはなかった。
国許(もと)に妾なし。
まして江戸から女子を連れ行くことはなかった。
妾腹に男子出生すれば、母へ金100両遣わし暇をくれて、出入りを留めた。
子は局で生育片(そでてかた)のの相談があれば、それより子供衆の並に致した。
外へ遣わす進物は、見ぬと云うことなきに由。
直孝殿の定で、家中の万石の者はいない。
近来木俣は万石に成られる。
諸士の格重き者、5等か6等がある。
その外は騎馬徒といって1列である。
鍋島、藤堂の両家も、頭役は格別、細やかに役格はなきによし。
門の向いの番所に士出いて、私に出入りさせるや否やを見る。
藤堂も左様である。
子供、前髪がある内は、親同道でなくては他出ならない。
服紗で刀を持つことはない。
玄関で刀をとり、乗り物に乗られる。
乗り物は蓙(ござ)ばかりで蒲団はない。

 ある時、聖堂を立てるといわれたが、家老が申すには、結構なことだけれども、作事立坪定法があって、1坪もふやすことはならない。
1か所何れの茶屋、またはいらぬ所を取り払わせ、その立坪で立て申すべきと。
もっとも諸士を訓導する所は、前々からある由。

続く
関連記事
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

プロフィール

百合の若

Author:百合の若
FC2ブログへようこそ!

検索(全文検索)

記事に含まれる文字を検索します。

最新の記事(全記事表示付き)

訪問者数

(2020.11.25~)

ジャンルランキング

[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
1328位
ジャンルランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
181位
サブジャンルランキングを見る>>

QRコード

QR