2021/05/15
巻之19 〔25〕 諸家の模範 その7
藤堂家は久居と名張と合わせて3方と称える。おりに役が闕(かく、欠けるの意)れるとき、かの三方の相談で極(き)めるよし。
平生金銀を貯えて、御手伝い等をかり金で勤めることはない。
御手伝いが済めば、家中の碌の内をかりて、重ねてまた御手伝いを勤めるほど貯えている。
先年川々浚(さら)いで、土手を築くよう仰せられた時、その沙汰があると銅銭を買い入れた。
果たして銭は高値になって、外のかたがたは難儀だというので、左様にぬけ目のないやり方である。
されどまた寛であることもある。
組の足軽など、頭の気で給分も人数も、間に合うようであれば構わぬ由。
道中乗りか懸けは、紺の蒲団2つで外の色がない。
新参衆は武器量を望む程かし、年賦で上納させる。
亀井殿も、妾腹が出生あれば、50両やって暇出すよし。
松平右京殿家、法令が厳しく、武道をみがく。
鑓(やり)のものを打ち、せんだん巻(千段巻、槍、刀などの柄を藤や麻苧(あさお)で巻いて漆を塗ったもの)で鑓印を附す。
また先祖から死刑を行うことはないと云う。
小笠原佐渡殿家には、鑓印、物打ちへはめるようにされれる。
目見え以下の者は、いかに立派な衣装を着ても、半襟をかけさせる。
加賀、越前、安芸、備前、酒井雅楽(うた)殿は、留守居役仲ヶ間入りしない。
されど仕損じする事もない。
公儀の事も定まる事、家法もそれぞれに立てるようになれば、外を聞き合すことも入るまじき事になる。
総て近世は、同役附合、仲間附合、公儀向勤より六ヶ敷(むつかしき)ようだ。池田両家では、大身小身に限らず、跡断絶させることはない。
備前では、暇を遣ると云うことはむかしからなく、書置きして立ち退けば、明日表門の前を通っても構わない。
学校を立て、文武の道を教え、二仲の釈奠(まつる、さだめるの意)を行う。
藤堂家は、暇を願えば料理を賜い、手自ら腰の物を遣わし、思う程の碌を遣わしかねる間、もっとものことである。
もち他所で片付けなかったら、立ち帰るように、と申しつける。
今はいかにあられるか承らずか。
続く
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