巻之19 〔25〕  諸家の模範  その7

 藤堂家は久居と名張と合わせて3方と称える。
おりに役が闕(かく、欠けるの意)れるとき、かの三方の相談で極(き)めるよし。
平生金銀を貯えて、御手伝い等をかり金で勤めることはない。
御手伝いが済めば、家中の碌の内をかりて、重ねてまた御手伝いを勤めるほど貯えている。

 先年川々浚(さら)いで、土手を築くよう仰せられた時、その沙汰があると銅銭を買い入れた。
果たして銭は高値になって、外のかたがたは難儀だというので、左様にぬけ目のないやり方である。
されどまた寛であることもある。
組の足軽など、頭の気で給分も人数も、間に合うようであれば構わぬ由。
道中乗りか懸けは、紺の蒲団2つで外の色がない。
新参衆は武器量を望む程かし、年賦で上納させる。

 亀井殿も、妾腹が出生あれば、50両やって暇出すよし。

 松平右京殿家、法令が厳しく、武道をみがく。
鑓(やり)のものを打ち、せんだん巻(千段巻、槍、刀などの柄を藤や麻苧(あさお)で巻いて漆を塗ったもの)で鑓印を附す。
また先祖から死刑を行うことはないと云う。

 小笠原佐渡殿家には、鑓印、物打ちへはめるようにされれる。
目見え以下の者は、いかに立派な衣装を着ても、半襟をかけさせる。

 加賀、越前、安芸、備前、酒井雅楽(うた)殿は、留守居役仲ヶ間入りしない。
されど仕損じする事もない。
公儀の事も定まる事、家法もそれぞれに立てるようになれば、外を聞き合すことも入るまじき事になる。
総て近世は、同役附合、仲間附合、公儀向勤より六ヶ敷(むつかしき)ようだ。池田両家では、大身小身に限らず、跡断絶させることはない。

 備前では、暇を遣ると云うことはむかしからなく、書置きして立ち退けば、明日表門の前を通っても構わない。
学校を立て、文武の道を教え、二仲の釈奠(まつる、さだめるの意)を行う。

 藤堂家は、暇を願えば料理を賜い、手自ら腰の物を遣わし、思う程の碌を遣わしかねる間、もっとものことである。
もち他所で片付けなかったら、立ち帰るように、と申しつける。
今はいかにあられるか承らずか。

続く
関連記事
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント

プロフィール

百合の若

Author:百合の若
FC2ブログへようこそ!

検索(全文検索)

記事に含まれる文字を検索します。

最新の記事(全記事表示付き)

訪問者数

(2020.11.25~)

ジャンルランキング

[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
1328位
ジャンルランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
181位
サブジャンルランキングを見る>>

QRコード

QR