2021/05/15
巻之19 〔25〕 諸家の模範 その8
本田弥八郎殿は、小身だが本家なので大身の紀伊守殿へ参られる時は乗り物を門へ横に付けられる。さて坐につかれれば、紀伊守殿は敷居を隔てて居られる。
だんだんに申されて、一間へも入るよしになる。
榊原家では男子10歳より女の手をはなれ、表に寐させる。
外から帰られたら、供の人へ言葉をかけられる。
年始の礼は鳥目に名札を付け、奏者の前に持ち出す。
奏者はその名前を見て披露いたす由。
火事があれば諸士は、草履取りに鑓を持たせ、草履をその鑓に結び付ける。
曹洞宗の寺菩提所では、領内の寺残らずその末寺に申し付ける間、仕置きいたす。
白井の双林寺はその寺の本寺であった。
末寺になることは迷惑のよし、公儀へ達した処、榊原領分の内は家法の通りであるべきと、奉行から申し付けがあったよし。
越前では、謙信流の山本帯刀を用いて、軍法を組みたて、如何なるか、家中に謙信流は禁制と。
帯刀先祖じゃ御附人で、世間に申し伝える越後流とは大いに異なるよし。
長柄の刃を漆で塗らせる由。
大久保家は、御旗本の大身衆で、1月に1度ずつ廻って寄り合いがある。
新八郎殿とて千石ほど取候人を、本家なりと正坐にされる。
青山大膳殿、36人衆とて、軽い士もあり重い士もあり、古いものなので、政事等気に合わなければ合点がいかぬよし。
松平主膳殿は、伏見で先祖五左衛門殿にしたがって討ち死にの人の子孫をば、列坐ろ云って重く致す。
辻番、足軽、手廻り少々を、江戸抱えにして、下々は家中の召仕までみな国人である。
みな酒樽の口を細工に致して。総人数を導く役なので、古法に叶うのはもっともなこと。
米沢の筆、長門の傘、鍋嶋の竹子笠、秋月の印籠、小倉の合羽の装束のようなまな下々細工にいたす。
第1それに精を出し、博奕する隙なく、第に身持ち形気(かたぎ)になり、仕置きも致しよい。
続く
- 関連記事
-
- 巻之19 〔25〕 諸家の模範 その9
- 巻之19 〔25〕 諸家の模範 その8
- 巻之19 〔25〕 諸家の模範 その7
スポンサーサイト
コメント