巻之一 〈一ニ〉 天川儀兵衛の話し(赤穂浪士復讐)

我が師皆川氏が話されたことー。

浄瑠璃本に書かれた天川儀兵衛は、その実尼崎屋儀兵衛と云って、大阪の商人で浅野内匠頭の用達である。

大石内蔵助復讐の前、着込みの鎖帷子を数多く作ることを預かっていたが、町人の武具用意と云う風聞があって、官の疑いがかかり、呼び出しがあり吟味があっても決して言わなかった。

拷問すれど言わない。終にその背をさいて鉛を流し入れられたが白状しなかった。

あまりにきびしい拷問に死にかけたことは、幾度もあった。

けれども白状しないので、久しく牢にいたが、江戸にて復讐があったと牢中で聞いた。

儀兵衛が改めて申すには追々御吟味のことを白状したしとなった。

すなわち呼び出して申し口を聞くと、その身は浅野家数代が出入りしていたので、厚恩を蒙る者であった。

かの家が断絶した後で大石は格別に目をかけて、一大事を某に申し含んで、江戸では人目があるからと、この地で密かに鎖帷子を作っていたということ。

全く公儀への野心ではない。はや復讐成就してからは、如何様にもお仕置き願い奉ると云った。

これを聞いて奉行はじめその場に居合わせた人々は、涙を流さない者はなかったという。

そうしてゆるされて獄を出て、家に帰った。

殊に長寿で九十ばかりで没したという。

時に人は、往時を語り、「これを見られよ」と肌を脱いで、背に鉛の残ったものが、一星、ニ星ずつ肉が出ていた。

観る者は身の毛もよだつようだったそうだ。

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