巻之19 〔25〕  諸家の模範  その10

 吉田の伊達では祝いごとがあって、酒をのますとき、中間には酒2合、蛤壱升ずつ遣わして、上下のこるものはない。

 大垣の戸田、参勤帰城の発足の日限極まって、1日も違う事がない。
江戸へ供の人の名、勤め方ともに書きつけにして、3月節句、広間に張り置く。出仕の者はそれを見て、段々用意をして、1年の勤めをする。
何を伺い聞き合うこともない。毎日朝六時から役人は出仕する。
主人も出て、五時(現在の7時頃)に退出する。
その後のことは面々の宅で取りさばきするよし。

 近頃は六半(現在の7時頃)より出仕のよし。
役替えは、手紙で役所へよびよせ、主人自筆の書き付けを拝見する。
それを取り上げ、役所の扣(ひかえ)にいたし、そのものへはその写しを与える。
当番の者なれば、坊主をやってよびよせる。
諸士は役格計りで、何の次、または何役なれど何の格など云うことはない。
重き役でも、いらぬ時は元の出所へ帰る。
火事があれば人々は手桶を提げ、その所へ聚(あつま)る。
供番は触なけれど、その場所へ参る間、主人奥方の供、世話することもなくて揃い居する。
何日は何と云う極(きま)りがある。
主人の衣服は勿論、庭の手入れ掃除まで、何することも聞き合わせすることも申し付けることもなく、極りの通りに致す。
白洲へ家老客を送り出れば、若党4人、刀持ち、草履取り、陰にひかえる。
用心もその程々に召し連れ出る。
下々間まで、譜代で妻子を持ち居る。

 松平主殿頭(とものかみ)殿は、代々先祖の出所、参州深溝を葬地とする。
家中の嫡子は、何によらず稽古に志あれば申し立て次第で扶持を与え、何方へ住居するも勝手次第。総て政務勝手向いのこと、無役のものでも心付けがあれば、頭支配へ申し達し、家老評議の上、挨拶がある。
火事の時奥方の逃れ、猩々緋の印をたてられた。
越前殿は供の女、小袖をうらがえた。
一統に赤い装束になった。これは外にもあった。
大垣の戸田では、壱人が騎馬で先に立った。

続く
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