2021/05/17
巻之19 〔25〕 諸家の模範 その12
郡山の本多殿の学校を益習館と云って、教え習わす所がある。益とは『管子』に出る文字だと云う。
次男以下は家来同前に召し仕う。
今はその家はなくなった。
佐賀、南部の民は国をはなれ7年を限りとして、国へ帰り改を受ける。
佐賀に境目方と云う役がある。領内他領の境目を正す役で、そのことに至って秘するよし。
何れの家にもあることだろう。
紀伊国から御供で参られた家には、大身小身によらず、夏の間腰掛けに水をくみおき、茶碗も添え、供のものも飲むように致した。
長門では、手元役といって、家老も手元に居てことを取り扱う役がある。
福山の阿部殿も、家老の側で物を書くもの、200石程の士がある。
左様これもあり度こと。
脇坂家は主人の居処で客使者の取次ぎをする。
たとえば公家衆御馳走でに、この宿所へ越されたらそおの所で取次ぎ、屋敷は大門を立て出入りがない。
この外にも、留守の年は大門をたて置き置く処がある。
林家では、その家の学風がある。
されど弟子の内で、他門の学風をしたい、却って家学をさみする(かろんじる)者もあるが、これを咎めない。
久敷門人、家来、下部に至るまで、平生厚いことはないが、困窮に及び、立ち帰るまたはなげきなどすれば、平日の無沙汰無理を咎めず、妻子とともに飢餓に及ばぬようにされた。
家の立てかた、奥表の中に用いる部屋がある。
その外に役人詰め居り、主人始め、奥表通行、その前よりならでは道がない。
小払いの金銭、器物の出入り、上台所、下台所、中間の食事、厩、足軽、中間の部屋の出口、家中の出入りの所、一目に見渡して、心扣(ひかえ)に成ることもあるが、それがそれとは見えず。
下よりは大いに気を置くことなる。
これは名高い阿部四郎五郎殿の指図で、立たせたとのよし。
今その阿部の家のこと聞き及ばず。
丹羽家は、家中地方である。
火事の行列のおし合図があって、麾(き、さしまねく)のかわりに鞭を用いて、拍子木をならす。
隊伍の整(おさまり)り方は、見事である。
外の大名は、合図申し合わせのヶ条、鐘太鞁など持つ為、美々敷ことはさることだが、法のようにまいらぬことが多い。
これにかぎらず、事の整いは法の善悪にもあらず。
人の鍛錬にあることに極まる。
- 関連記事
-
- 巻之19〔25〕 諸家の模範 その13
- 巻之19 〔25〕 諸家の模範 その12
- 巻之19 〔25〕 諸家の模範 その11
スポンサーサイト
コメント