2021/05/18
巻之19 〔25〕 諸家の模範 その14
足利の戸田の家中では、親類は勿論、懇意の者が亡くなると葬送の見送りにいく。格式次第、目付け役へ申し遣わすと、若党は鑓を持って各々にかす。
領分、村々に米麦を貯え置いて、貧人に春にかし、秋に取り立てる。
尾州、両家老をはじめ、毎日の登城は羽織袴で。
それ故小身の士は裏付上下を持たず。
麻上下の次は袴の上に麻上下の肩衣を着て、継上下と申す。
若党が袴を着るのは、主人が麻上下の時ばかりで、平日は羽織ばかりである。
それもそれと申す法ではない。
小身者は、若党1人で草履もとって、先方で人になれたら坐敷の給仕をさせる。
阿波は寛だが、国中で絹など着る者があれば押し込めて山入させる。
越前家の松平大和守殿は、結城の名称を続(つ)ぎ、結城の先祖を祭る。
年始暑寒に家老まで直筆で諸士別条がないのを尋ねる。
家老から廻状で、諸士へ申し達する。
その礼に何れも家老の宅へ参る。
帰城のときは綿服で、諸士に逢われる。
諸士も下には絹を着る者も上に木綿を着る。
五節句には、諸士その外、玄猪(げんちょ、亥の子の祝い)嘉定(かじょう、嘉祥、日本の伝統的行事の1つ)に出る者には手自ら餅を賜う。
在府のときは、毎月1度ずつ用人は先立って役人詰所へ揃いと申せば、出られて、出やったかと申し、広間では、当番かと申す。
五節句も目見えの者へ声をかけらる。
詰所へまわりないときは、不快の段を断り(詫びを入れ)、表向へ出給うことはない。
外へ出られるとき、供を略して、門前隣家へもならない。
先方で断りがあっても、家風だといって式のように出られる。
奥平では、参勤交代の時節、遠路になれば、少身には難儀だろうと供する人は、大方300石以上のよし。
酒井雅楽頭殿も、坐鎛まわり、屋鎛まわりと云うことがある。
如何様の式か、そのことは聞かない。
これもあるべきことである。
さて諸士の家では、当歳(年)でも、家督相違ない。
国持でも、左様の家は、半分ならずともないかと思われる。
凡そよいことが消えるのは末の世の習わしで、ヶ様(かよう)のことがなきことになっても、何てことはないだろう。
だが、しるしが無いと民は信じぬし、いかにしてヶ様が続いていくのをささえるか、、、憂い事になっていく。
かの家ではヶ様の政、かの家ではヶ様の風儀と兎角あることのみを記した。
雅楽頭殿家中、面々の宅では、大抵年順に坐に付く。
親戚からの書状は、その裏に返事を書くので、事のもれもない。
伊東では、書状を遣わすと云うことなく、便あれば役所から名前をかいて家中へまわし、印形をとる。
別条があるか、用事があれば、その上に書き付けて、事を弁じる。
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