巻之19 〔25〕  諸家の模範  その16

 明和(1764~1772)の頃、秋元隼人殿は、駿府から帰られるとき、途中から家中の子どもに玄関前に出て居る用に云われた。
何れも髪を結い、衣物を着かえて、玄関前に待って居る。
駕籠から出られて、早く我等を見たい、さてさて1年の内にどれだけ成長したかなと申され、待ち受ける者も、供して参る者も、感涙を流しよし。
屋敷を替えさせられた時、先方は権勢ある人だから、この屋敷は良くない、この屋敷は良くないと云って、所替えする人なので、随分屋敷をし直した。
引き渡し、またよの人の難儀にならぬように致され、誰も誰も古い住居をはなれるは、難儀である。
1軒の屋敷替えで、幾屋敷が動いたかと申されよし。

 加賀では、出入りの町人から、金子をほどほどにかりて、利分をつけて、封のまま返される。
これを扶助を申し、急用に備えてと申される。

 何方にか、白川なりとも申す、不如意に難儀された時、百姓に才覚金も申し付けられた。
申し出通りの利子もつけて、その時かえされたら、貯えるだけの益があることを願い、貯えるほど出せば、通用自由になる。
それから手廻しよくなりよし。これは信の一字の徳である。

 堀田出羽守殿に、徒士の数が多いことがあったり、少ないことがあったり。
いかに問うと、年頃あって、家中の次男、軽いものは総領をも呼び出して、徒にする故であると云う。
数が少ないときも、それゆえに大儀(苦労)とせず、勤むるよし。

 片桐殿の領分の80以上の者には、手当あるよし。
また孝悌の者を賞させられると承る。
また毎朝諸役人に逢われ、途中で給人格以上の者が扣(ひか)えて居れば、駕籠の戸をあけ、その以下の者は籠の戸をあけずに披露致された。
何方にても左様にあられた。

 薩摩では、主君のために命を落とす者を葬る所があって、年々薩摩守殿は参詣されると承る。

 二本松では、嫡子20歳になられると扶持を与え、平士並みに奉公致させる。
父の家督をつぐときは、その扶持を隠居料に給わる。
また当主でも嫡子でも、諸芸の稽古の志があれば、3人扶持を与えて、修行致すよし。

 秋月家では、不幸あるとき酒禁制であり、客、使者等へも飯の後に盃出さず。

 この書をよみ給わる人、心得られて、これはよきことなので、強いてこのように行おうとすれば、知らぬに劣らない。
常々心得て、このようにせねば叶わぬと云う時に取り出して、それによって改め変えるならば、とてもすぐれた指南書となるだろう。

 終わり。
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