三篇 巻之十四 〈一三〉 竹千代君の母親(お楽の方)の話し

一日某氏の邸を訪ねて、談話する中で主人が云った。
今の増山参政の家は、そのはじめは農夫であったが、あるとき里中で小児どもが狐を捉え侮蔑し弄んているところにあった。
とても不憫に思い、その狐をどうするのかと聞くと、すぐに打殺すと答えた。農夫は憐れみ、強いて狐をくれろと求めて、家に帰って、放した。
狐はその恩を感じて、その夜農夫の夢に現れ、云った。「大変感謝しております。御恩返しにはお望みのままに」。
農夫は云った。「ならば、わしを将軍にしてくれんか」。
狐は云った。「このことはあなた様の代では叶えられません。けれどもお孫さまならば、必ず将軍になられるでしょう。またあなた様は、残念ですが大厄に遭われます」。
農夫は云った。「大難はとるに足らねぇや。孫の代になったら将軍さまかぁ。なにしろ大きな望みが叶うんだからなぁ」。ここで夢が覚めた。
ところが農夫は本当に叶うのかとだんだん怪しく思う様になっていった。
月日が経ち、ある日家の近くに鶴が来た。農夫は気づかれぬところから、飛び道具で殺し、人に売った。
このことが役所の知るところになり、官禁を犯したかどで、死罪に処された。
家宅は没収され、家人はその田里を去った。
むすめが二人いたが、この様なわけで江戸に出て、口を糊した(生計をたてた)。
ある日上野山下の広小路にあって、地上に蓆(むしろ)を敷き、土偶(ツチノニンギョウ)を並べてこれを売った。
たまたま、将軍家東叡を御参詣された。
これを(娘が土偶を売る姿)輿の中から御覧なされた。
御帰輿の後、春日局を召し仰がれ、「今日東叡山下で土偶を売る娘が二人いて、ことさら美しかった。
早く呼び寄せ、汝の部屋に置くように」。
局は、人を使って娘達を探すと、果たして有った。
局はただちに御城内に連れて入った。
これより月日経ち昇進して、ついには上の幸いを得た。
御産に至り、竹千代君を生んだ。これは四代将軍様である。
また主人曰く。春日局は、某の家祖で狐が言うことにもまた真実味があると。
わしはだから『柳営婦女伝』を閲覧すると、宝樹院殿〈増山侯の祖、かのニ女は農のニ娘である〉の御事蹟とたがわない。
されども小同大異、要するに、狐異は一聞とすべきである。
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コメント

No title

お楽の方の逸話はいろいろありそうですね。狐の話は初めて聞きましたが面白いです。「狐異は一聞とすべき」とはいえ、物語としては興味があります。仏教説話では狐はあまり出てこないようですが、仏教説話的です。

No title

木村 さん
コメントありがとうございます。甲子夜話は色んな引き出しがあるので、まだまだどんな話が出てくるか楽しみです。当時は神仏習合で境目が曖昧だったのでしょうか。

No title

原田 さん こんな見方をしても面白いかなと思ったのです。今昔物語の文正長者にも共通な立身出世的な要素もあり、実話にもいろいろありそうですし、平安時代の仏教説話での蟹の恩返し、蛙の恩返しや蛙皮の御婆さんなどにもつながりますね。近代的には鶴の恩返しだし、先日の河童の恩返しなどもありますね。狐の話は、女化神社の話や石岡の木比提稲荷などの狐の恩返しなどもありますが、江戸時代中期以降でしょうか?

No title

木村 さん
女化狐の話は、母狐が去った後忠五郎さんが育てた末っ子竹松は成長して都の公家さんの元で働きますが、このころは戦国時代の様です。木比堤稲荷の方は、すみません、時代がわかりませんでした。狐や蟹など生きるものにも魂があり、神さまの使いだと思う信心深い人々がおられたのではと思います。結局小さな生き物を大切にする人は影日向なく、皆に誠の心で接するでしょうし、その様な態度が出世に繋がるのでしょうか。

No title

原田 さま そうなんですね。調べてみたいです。蟹は蟹満寺の縁起、蟹・蛙の報恩話しは日本霊異記にでてきます。行基菩薩の話が多く出てきますので、時代は奈良時代だと思います。ただ女化稲荷は昔はこの名前ではなく保食の神社だったはずです。明治期以降に昔の話として作られたのではないかとも・・・。調べてみますね。
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