三篇 巻之75 〔8〕  潮来の名物藤架(ふじだな)

 都下に云い触らす潮来曲〔いたこぶし〕は、常陸の国行方の郡潮来村の游女が歌う曲〔ふし〕である。
また聞く。
ここの藤花は、とても長くてよく垂れると。
1両年前に、かの地に識人が居て、小枝を求めて園中の池の畔に植えていた。
梢は長じて今春の花は盛んだった。
紫の条は垂れてよく揺れていた。
未だ甚だ長じてないといえども、年歴を想うと蘂’(しべ)の尺はなお察するものがある。

 また嘗て、外で潮来の婦人に逢った。
年は大体50余りか、わしは問うた。
「汝の里(ところ)藤は如何かな」。
婦曰く。「8尺(1尺は約30㌢)ほど垂れております」と。

 またある人が云う。
「かの地の村の店があると、多く藤架を構えて、その花下に床(ばんこ)を置いて、人が来れば酒肴を出して花底に集まり飲んでいる」と。
わしは思う。
彼処は游里がある所だから、その辺の野店も飲む席を設けるのだろう。

 近頃『鹿嶋名所図絵』の書が出た。
幸いに潮来のことを挙げている。
が、この藤花の説はなく、また絵図にも里の店の藤架のさまを載せていない。
なお識る者について問わない。

 後また、かの地に往った石匠に聞けば、渠(かれ、今の彼)は、わしの居の軒を指さして、「藤架はあの高さに構えていますが、花が地面1尺ばかりの所まで垂れれば、出入りには花が垂れたのを左右に分けて開いて出入り致します。戸に掛けた縄簾のようになるでしょう。但し藤のある所は一家だけでして、他の家にはありませんね」と。
ならば前に聞いたものとは異なるが、藤花が6,7尺になるのはあり得るのか。

 (また『鹿島志』は鹿島神社の図に、宮社の側(ほと)りに、藤架がある。
記に曰く。
御藤は瑞垣の辺に生い栄えて、伸びてひろがっている。
花の盛りの頃負おいは、立ち止まって愛でぬ者はいない。
『詞林采華抄』に、およそわが国は、藤根国と申すそうな。
この則は、鹿嶋明神では金輪際より生え出た御坐石を柱にして、藤の根で、日本の国を繋いでいると申す故である。云々。 

○また、潮来村は、鹿嶋から西2里と見えるので、常習この辺は藤の佳い種を産するかや。)
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