三篇 巻之20 〔9〕  烏帽子を着して起こったこと

今は御番衆、または諸家の平士、あるいは能役者等が着する烏帽子を 世間では納豆烏帽子というが、古来から折烏帽子と云われ、こちらは本当の名である。そのように諸書に見られる。
さてある人がいうには、この納豆の呼び方は。
慈照院公方義政の頃、南禅寺から檀家へ贈る納豆を入れる曲物の器のその形が烏帽子に似ていたので、世俗では、納豆入れのような烏帽子と云ったので、しばらくは縮めて云って「いたのだという。
如何にもそうあることだろう。この事は、伊勢安斎の集説にもないと思う。

 この事で思い出すのは、総じてこの折烏帽子には、京極折、観世など折り方があるが、京極折は素(モト)京極氏の家流という。

 わしが若い頃、年頭御礼に出仕したが、表高家は無官位なので、折烏帽子に素襖で登城した〔年頭大広間の坐順は、上に御譜代帝鑑衆、次に外様柳衆、この下に表高家の輩が着坐した〕。
すると京極某と云う表高家が、己の家の流といって京極折の烏帽子を着て出て行った。
これに大目付は見咎めて、異様の烏帽子になると、通常のに着替えさせた。

 着て出て行った京極氏も、もちろん不適切だが、咎めた大目付も、もちろん文盲で、是非を言い難い。
引き分け相撲になった。
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