2021/07/09
続篇 巻之98 〔2〕 黒田氏の祖考察
わしの親族の黒田氏は、かの丹治姓である。然るにかの居城中(上総)の山上に丹生明神を祭り、江都の邸の中にもこの社を建てて、その祖神として崇祭していると。
然るに、聞く人によっては受け入れらない者がいると。
その言い方のあらましは、丹生とは、都の辺りに貴布禰と同躰の神で、本社は大和国丹生山下市村に在る。
その魂(カミ)は、伊弉諾尊が、軻遇突智(ヒノカグツチ)を斬り三段(ミキタ)にして、その1つ高龗(タカオカミ)と云う。
その垂迹(すいじゃく、仏や菩薩が民衆を救うため、仮の姿をとって現れる事)とか云う。
この様にこれを丹治姓の祖にすることはいわれなきに似ている。
また既に考える様に、『姓氏禄』によると、丹治真人は宣化の皇子から出たとなれば、黒田の祖神は宣化帝を祭るべきだろうに。この様に丹生、丹治に似た為かと思うと、憎言(ワルクチ)かは知らないが、ある人が語るには、黒田の中興直邦と云う人は、徳廟の時にかの御取立てで、初めは寺社奉行を勤めた。
後は閣老までに至った人であった。
この未だ寺社奉行の時に、高野山の公事にその訴訟をよく判いた功を、野山の学侶殊更に荷恩したという。
今は親族の様に、また黄円を合力することも他にはないほどである。
これは野山学侶の伝える所であると。
そうであるから高野にも、丹生高野といって、両社はかの山の鎮護なので〔高野の蔵版『野山名霊集』に見える。この書は他にはない〕、この時から丹生明神を黒田氏にも勧請があったのだろう。
然るに子孫に至っては、その勘弁もなく、猥りに丹治の姓と丹生の号と相似しているので、その祖神などと云っていたのか。
已(すで)に左兵衛入道は某に語るには、「わが祖の丹生明神」などと言っていると。
なるほど系を引くと祖にも逮(およ)ぶべきか。
かの憎言(わるくち)と云ったが、憎言らしくは思われない。
(また『姓氏禄』に、丹比宿禰は火明命かた出ると云う。
『古史系図』によれば、火明命は、天照大神の御子天之忍穂耳命の御子で、その子天香山命である。『図』に曰く。
丹比(タデヒノ)連、襷(タスキ)多治比(ノ)宿禰、蝮壬部首(タデヒニフノオビト)、丹比周敷(タデヒスフノ)連等之祖であると。
するとこの系も、宣化の御流とは派違えり)。
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コメント
丹治と丹生
丹生氏の家系図では、丹治氏は宣化天皇を祖としていることが書かれています。また、丹生氏の祖は丹生都姫とされています。つまり、丹生氏と丹治氏は別々の氏族です。空海の時代に、丹治より養子を取り、その子孫の支流が秩父に移り、丹党となったようです。これは丹生氏の家系図に書かれている訳では無いですが、丹党の家系図からだとそう推測されます。空海の時代に、丹治は丹生氏に養子を出した後、一時断絶したとの記述が丹党の家系図に記述があるようです。
恐らく推測ですが、中山氏が、鎌倉幕府と高野山のつながりで、高野山の元の地主の丹生氏の事を知り、そこから丹生神社を崇敬したのではないかと思っております。
2022/11/22 00:58 by たけちゃん URL 編集
Re: 丹治と丹生
大変参考になりました。
これからもよろしくお願いします。
2022/11/22 05:29 by 百合の若 URL 編集