巻之80  〔16〕 小倉侯忠信の故事のはなし

 ある人が云った。
隈本侯(細川氏)の旅行の駕籠は延べ鉄包みである。
不慮の用心であると。ただし実は否かは定かではないが。
わが肥州(静山公の御子息)の行旅に従う傭興夫が、かの侯の駕籠を舁る時に殊に重く見えたと云う。

 すると前節に符うようである。
また一説に先年殿中で狂った板倉の子孫を仇とするならば、それゆえに延べ鉄包みになったのだろう。
この説、笑える。幽、三以来、意味があってこのようにされたのだろう。

 また観世新九郎は語るには、小倉侯(小笠原氏)の旅行の駕籠は、左右の戸がみな縠張(モジハリ)である。
新九は迎送して親しく見た。
その故を尋ねたら、かの祖は大阪の役で神祖(家康公)に従ったので、戦場で数ヶ所の創(きず)を被った。
創が癒えてから、あと発熱して堪えがたくなっても、信州の寒い国から往来するので遂に家風となった。
それで今もその制を用いているのだという。

 因みに『藩翰譜』をみると、侯の祖源忠真は秀政の次男、大御所の御外曽孫である。
年18歳、いまだ大学助と云う時に、父と同じに大阪に向かい、5月7日の合戦の敵と戦って、あまた重傷を負い、首を数多斬った。
それで並びなき高名を得た。
また父信濃守は領する信州松本の城から、寛永9年(1632)に豊州小倉の城に移り、後また嶋原にて戦功があった。

 寛文7年(1667)冬卒したと。
年は72だった。

 すれば新九が語ったのは、この事で、小倉侯の祖、侍従右近将官監忠真からの故事である。
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