巻之51 〔1〕    本寺火災に遭い、立て直しの伴うはなし

親鸞宗に人心が帰する、不可思議である。
浅草本願寺に京都から来たれる願照寺と云う、ここにその従者が話したくだり。

 京の本寺(東)去年11月15日に焼失したとき、大阪の町人が金子千両ずつ持ち馳せ参じた者3人、その以下の者も多くいたが、金高はこれに劣っていた。

 さてこの金を門主は納めず、追って本堂普請のときの入用金として、その者に預けにしたという。

 この火災につき寄金、現物およそ3万両余、目録で寄進して40万両余、これはみな本堂建立の料にと出したものである。
この度の作事、表書院、居間書院、その次の所々千畳鋪の間、門主の住居向き、台所等総て21棟、以前の通りに出来た。
去ながら材木は前より3歩通り下の品ですべしと、門主の指図に任せたという。

 またこの普請金は門主の納戸金を当てた。
その故は、檀家から出したとすれば、檀家は困るだろう。
因みに望みは申さないとの旨にて上の如くと。
この入用金は8万両とのこと。

 上の再営は、昨冬中に焼灰を取り除け、当正月建てかかり、瓦を葺き済ませたのは5月節句の前におわった。

 末向きの折々、勝手の住居向きは追々に成就して、これも7月7日に門主の移徒があった。
但しこの入用は、浪花の町より5千両出金したのを、すぐに造作を致してくれるようと門主の依頼で、大阪中の引き請けで普請するとのこと。

 本堂はまず仮建てといって、27間に建てる。
この堂は元来尾張本願寺の堂だったが、子細あってたたみ置いていたのをこの度廻し仮堂に用いた。

 もっともしまい置くものゆえ、木柱塵汚しがあって、宗徒の工匠寄り合い、成仏の志にと自身でこれを掃除ひた。
瓦についたごみは洛中の遊女が云い合わせて、往生の助けにとみなみな鴨川の川原に出て洗い濯いだが、何れも同様の湯衣を着ているので、これを観る者は数百人になったという。
件の仮本堂もはや成就して、この7日に入仏あったと沙汰があった。

 またこの仮堂を尾張の門徒が見て云うには、京は本山ゆえに、見替える堂になった。
尾州では、古びているからこの様にしたのだろうが、(それが本当ならば)寄進はするものではないとつぶやいたという。

 また仮本堂を建てた地所は、やがて本堂を建てる所は別にして、本堂は36間4面にやがて造営されるという。

 この住居向きの普請金は、前に門跡の借財がかさなり、12万両を超すのを、勝手向うを倹約して皆済ませた。
この倹約の財積たる20万両余金になるのを、これで借財12万両を返し、その余財8万両で今の建物が出来たという。
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